入院した病院は大学病院ではなかったけれど県内では3本の指に入る大きな病院

 

でも・・・よくドラマで見るような教授回診とかはないって思っていた

 

そしたら・・・ステロイド30mg/日での治療を開始して数日たった時

部長回診なるものがあった・・・

 

あのドラマさながらに・・・

 

主治医が部長医師に私の状態を説明した

そして部長医師が私に対してかけた言葉に唖然とした


「気持ちで治したのではないか」


(正確には[気持ちで治したと判断した]と聞こえた)

 

その言葉を聞いた瞬間

自分が不妊治療で感じてきた不信感が

ここでもまた繰り返されたことに悲しい想いを抱いてしまった


しかも初めて会った医師に・・・

ベテランの医師に「気持ちで治した」と言われたことは

私の何をあなたは知っていますか?という想いを強くした瞬間でもあった

 

私の背景を何も知らないくせに

そういうことをよく言えますね・・・と・・・

 

私にとって声がどれほど大切なものか

気持ちで治せるのであればとっくに治している

先生に私の何が分かりますか?

今日初めて会った私の何を知っていますか?

どんな想いで今・・・学んでいると思っていますか?過ごしていると思っていますか?

 

こんな医師が存在するから

こんな医療従事者がいるから・・・


それをまた思い知らされた


突然やってきた辛い症状

やりたかったことを形にしようと頑張っていたことも

諦めないといけないよなぁと後ろ向きになりながらも

これは気持ちを奮い立たせるために起きている出来事なんだと前向きになろうとしても

あまりにも辛い言葉だった


あの不妊治療中に受けたカウンセリングでの人間不信を再び経験することになり

立ち直ることに時間を要することは容易に想像できた


表情に出していたつもりはないけれど

その言葉に反応したのだから表情にも出ていたのだろう

主治医がすかさず

「食事も食べられなかったし

声も出ていなかったので

ステロイドの効果です」と部長に伝えてくれた


「そう」とだけ言って別の話になったけれど

その言葉からは「それは君の見解でやっぱり気持ちで治してるよ」って続く言葉が私には聞こえた


 

この日の経験はほんのスタートに過ぎない

 

あの時の言葉が今のトラウマの出発点となり

なにか事があると悔しさとして噴き出してくる想いに苦しい時間を過ごしていることを

あの部長医師は知らない

 

周りからは「良い先生だ」と言われているようだけど

本当にそうだろうかと思う


良い先生はあの言葉を初めて会った患者に言わない

そう思うのであれば

気持ちで治したという根拠となる背景があるのか?をまず知ることから始めるだろう


ステロイドを服用させておいて良くなった患者に

その服用を否定する「気持ちで治したのではないか?」などそんなに簡単に言えるはずがない

この部長医師が私へのステロイド投与を決定したことを私が知らないと思っていたのか?


この不信感は今でも私の心に傷となり残っている