この病気で初めて入院した2年近く前
その時の医師の言葉を今も思い出すことがあって
その言葉に悔しさや怒りが今でもあふれてくる
本当はあの時
転院することを選べばよかったと思ったりする
食事も離乳食とか介護食のようなものしか食べられず
横になってないと辛くて
声もかすれていて喉も痛く
どうなっていくのかと不安に思う気力すらなく過ごしていた時に
突然の入院となったけれど
それでもその時は自分自身でそんなに悪いとは思っていなかった
ステロイドでの治療が始まって
転院前の部長医師に言われたひとこと
「気持ちで治したんじゃないか」
この言葉に心の中では怒りがこみ上げてきて悔しさがあふれた
私の状態を最初から直接診てもいないくせに
私という人のことを・・・背景や想いを知らないくせに
良くなってから初めて対峙した患者にその言葉はない・・・
ホントに部長なの?
っていうか医者としてどうなの?って
悔しさと怒りと・・・その場にいることの情けなさ
マイナスの感情に支配されて
早く病室から去ってほしかった
あの日のことは今でも少しも色あせることなどない
あの光景はずっと心に焼き付いたまま・・・
あの頃のわたしは3年間がんばってきて
やっとやりたいことを始められると準備をしていた時で
さらなる学びにも意欲を持っていて
病気に振り回されている場合じゃないって
自分で治せるのならとっくに自分で治してるって
それが出来ないジレンマを抱えていた
病気がわかれば薬や手術で簡単に治るくらいのものだと思っていたし
治せる病気だとも思っていた
それが・・・そうではなくて
でもきっと治るっていう想いもあって
でも思うようにならなくて
ステロイドを飲んでいない状態で良くなったのなら
自分で治した・・・って思われても仕方ないと思うけど
たった数日で食事がとれるようになり
声が出るようになり痛みが和らいだことが
ステロイドの効果ではなく【気持ち】だと言ったこの医師を本当に許せないと思った
そして今でも許してはいない
主治医として直接わたしを診ることはせず
陰ではわたしの診断や治療を決定していたその事を
私が知らないとでも思っていたのかはわからないけれど
転院してやっとあの医師から解放されて
少しずつ少しずつ治療が前に進み始めた
あの告知された日
確かスタート地点
ゼロ地点に居たはずの私の治療は
主たる治療が告知された科ではなく
あの医師が部長をしている科となり
それによってマイナスに向かわされ
今でもスタート地点に立ててはいない
それでもスタート地点
ゼロ地点に向かって歩き始められたことを良しとしないと
未来に希望が持てなくなってしまう
不妊治療をしていた時も感じた
何気ないひとことを
気にもしていない一言を
医療従事者の人たちは口にする
そのひとことで患者がどんなに傷ついても
その傷ついたことを傷ついたと口に出来る患者はそう多くはない
いや・・・いないだろうと思う
きっとあの医師はその言葉を覚えていないだろう
わたしを傷つけたことを知らないだろう
だけど・・・
そういうことをあの場で言えるということは
外の患者さんに対しても同じように言っているはずで
・・・でなければ
あんなになんの躊躇もなく口に出来るはずがないと・・・思う
「良い先生」という声を聞くけれど
看護師ですら「良い先生」だというけれど
それは誰にとって「良い先生」なのか?と思う
もう2度と生涯会うことのない医師
会いたくもない医師・・・
記憶から消し去りたいと思うのに
ふとした時
なんでもないときに
あの日のことがよみがえって悔しさや怒りがあふれてくる
私のこれまで生きてきた中で
良い先生との出会いばかりだったから
こんな先生がいるのか?とホント思ったのだけど
この経験もきっと意味があると最近思っている
何かに気づくことがあるような気がしている
もう少しでそれが分かるような気がするのだけど
まだぼんやりとしている
この悔しさや怒りを
いい意味での力にしたい