内服ステロイドが10mg/日になったことは
私の中ではものすごいおっきい前進だった
15mg/日でも強い痛みを我慢していたから
そもそもこれまでの治療が適切だったのかという疑問は常に持っていた
【痛いのは我慢でステロイド減量】っていう意味が
全く理解できなかったし
【痛みを我慢して減量しても検査所見から悪化しない】という判断も
何をおっしゃっているのやら・・・?と・・・
もう・・・本気で
「痛いのは先生じゃないし
この痛みがどれだけのものかも分かるわけがない<`ヘ´>
どうせ他人事・・・」って思っていた
そして・・・強い痛みを我慢して
ステロイドを減量し10.5mg/日になったところで
全身に激しい痛みが襲い
日常生活が送れなくなり
ステロイド増量になった・・・
確か・・・減量しても悪化しないんじゃなかったでしたっけ?
CRPも上昇してしまってますけど・・・
それでも悪化したとは言われなかった
それから
このままじゃいけない
自分を守るためにこのままではダメって
強い思いを持って診てもらった先生に
出してもらった吸入ステロイドで恐ろしく痛みが減った
・・・と同時に・・・・
我慢しなくて良かった痛みを我慢させられてきたという
悔しさが襲ってきた
さらに私の知らないところで起きていた
様々な出来事を一気に知ることとなり
信頼・・・とは何だろう?
そんなことを考えるようになった
不信感を持つ・・・・・と言う言葉は
自らが率先して手にしてしまうものであるかのような気がしていた
持つ方が悪い的に感じたりしていた・・・
でも「不信感」は
「もつもの」ではなく「もたされるもの」だと今は思っている
誰しも初診の段階で
医師に対して「不信感」を持って向き合うことなどしない
初診後関わっていく中で
少しずつだったり
一気にだったりは様々でも
何かしらきっかけになる出来事があって
その出来事から引き起こされた想いを払拭できずに溝になり
埋められることが出来ないときに持ってしまうものではないかと思う
伝える側と伝えられる側
発する側と受ける側
双方に問題はあるのだと思うけれど
行き違いや思い違いもあるのだろうけれど
それでも「不信感」を持った側が
「不信感」を与えた側より悪いような印象があることは
私の中の間違ったスキーマだと今は思っている
「不信感」は「持った側」ではなく
「与えた側」に責任があるように思う
きっかけになることがなければ
不信を抱くことは
そうそう起こるものではない
今は「持った側」が罪悪感を抱く必要はないと思っている
でもあの頃のわたしは
「不信感」を持った自分のことを責めていたし
「信頼」することがどうしてもできない自分が
間違っているのではないかと思っていた
医師との信頼関係が築かれている患者では
築かれていない患者に比べて
同じ治療をしても効果に差があることは証明されている
不信感を持ってしまった医師の治療を受け続けても
よくなることはないということを
自ら経験することとなったこの1年半・・・
それでも・・・・今でも・・・・
「信頼」とは・・・
「不信感」とは・・・・という問いを
時々している自分がいる・・・・