不妊治療をしていると
「授かりたい」という想いの強さが
様々な「怖さ」というハードルを
下げてしまうこうとが多いように思う

排卵誘発剤やホルモン剤
治療に入る前はどんな人でも
強弱に違いはあっても
「怖さ」を持っていると思うのに
それも慣れてしまうとあまり考えなくなる
自己注射も自分で注射を打つって
最初こそ「怖い」けれど
これまた「慣れ」で怖さも減ってくる

今や不妊治療も様々な治療が取り入れられ
着床しないことはブラックボックスではあっても
色々と試みられている

自分が難病となり
関わってきた医師全員が
ステロイド剤の使用に関してとても慎重で
データを積み上げてもなお
慎重に対応して貰っている状況に
不妊治療をしていたとき
そんなに大変な薬だと説明もなかったし
授かれるのならという想いで消された「怖さ」は
間違いなく有ったと感じている

もし今の状況が先にあったなら
私はステロイド剤を飲まなかった
たとえ反復着床不全で
自己免疫が着床を邪魔していたとしても
・・・・・・

最近では免疫抑制剤も使用されている
もちろん検査をして必要だと
生殖医療専門医が判断して
使用しているのだけれど
そして臓器移植した方々は
妊娠されても服用が必要だから
子どもに対する影響はないのだろうと思うけれど
臓器移植等をしたわけでもない人に
本当に必要なのか?という想いは
私の中にずっとある

それでも
「授かりたい」という想いが
消してしまう「怖さ」の「怖さ」を
やはり今とても重く感じずにはいられない

不妊治療をしているときに見ているのは
「授かる」ための方向で
「授かった後」の事はどちらかというと
比率は下がってしまう
もちろん授かって家族が増える景色を
想像する事はあるけれど
必死になっているのは
「授かるために出来ること」で
そのためなら何でもやれてしまう・・・というより
やってしまう方向に舵が取られる

ステロイドや免疫抑制剤で
確かに授かれる人も居るのだろうと思う
それが本当に効果としてなのか
それともブラセボ効果としてなのか
今まで学んできたけれど正直
私としてはどうだろう?という域を脱していない

人の中に芽生える「怖さ」は
その人が無意識に感じ取っている
「危険」に対する自己防衛本能で
本来は大切にするべきもの
大切に感じるべきものだと思う
それでも「授かるため」という想いの前で
その「怖さ」は消されてしまう

不妊治療を終結した中で
難病という戦いが始まり
本来持っていた「怖さ」というものを
大切にしてこなかったことを
少し後悔している

この難病が何によってもたらされたのか?
私にとってどんな意味があるのか?
それはこの先の人生の中で
少しずつ感じていくのだろうと思う

ただ今現在
不妊治療をしている人たちに伝えたいことは
医師に勧められた治療を
あまり良く理解できずに
治療として続けるのではなく
やはり学んで欲しいと思う

薬のこともそうだけれど
少なくとも自分がしている治療は
なぜどうして必要なのか?
本当にそれしか方法がないのか?
感じている「怖さ」は何なのか?

そのために不妊カウンセラーは居ると
そしてそのために
不妊カウンセラー自身も
学び続け
正しい情報を分かりやすく伝えられる知識を
常にアップデートし続けなければいけないと感じた

不妊治療には
温かい命を抱くというプラスの夢によって
消される「怖さ」があることを
忘れてはいけないと思う