今日はウキウキドキドキ
数十年ぶりの再会
という日だけではなくて

高校の時からの親友♂
ゆきちゃんの命日
もう5年かなぁ???
高校の時
大好きだった人
そして
陸上部だった彼の走る姿を
美術室のベランダから
ずっと見てた

ゆきちゃんとの別れが
こんなに突然に訪れるとは
本当に思ってなくて
今でも電話がかかってくるんじゃないかって
思うこともある
私にはよっさんとは比べられないけど
とても大切な人

今も・・・
ゆきちゃんから投げかけられていた
病との戦いを
ちゃんと自分が受け止められなかった悔いがある

それは
弟からゆきちゃんの激やせを聞いて
電話で話したときに
「まさかガンじゃないよね?」
「そう!ガンなんよ」
その話し方がものすごく冗談に聞こえて
「そんな冗談シャレにならんよ~」と
受け流してしまったこと

重たくズッシリした言葉を
わざと避けて
冗談みたいに言ったことを
私は察することも出来なかった

よっさんとの経験が有りながら
私に出来たことも
少しは有ったはずだという想いが
亡くなってから
もしかしたら今も続いている

ゆきちゃんとは
同じ様な仕事をしていたから
なんだかんだ仕事上での関わりもあって
高校の同級生の中では
女友達よりも頻繁に連絡を取り合っていた

ゆきちゃんとは
何かと不思議な縁で
ずっと続いてきた

どうしてちゃんと話してくれなかったのか
何ヶ月も悔しくて情けなくて
色々と考えていたとき
ゆきちゃんの職場の人から
「言いたくなかったんじゃないと思います
きっと、ももさんには
最期まで自分の元気な姿のまま
覚えていて欲しい
そして病気だから
ステージ4だからという関わりではなく
ずっとずっと続けてきた
ふたりの当たり前の関係で居たかったのだと思います」
そう言われたとき
私がガンだと思わずに
最期の最期まで
ずっと続いてきた関係のまま
ゆきちゃんに望まれた関係のまま
居られたのだとしたら
それが一番だったんだと
思えるようになった

それでも今でも
辛いこと
苦しいこと
聞いてあげたかったと思っている

亡くなったとき
ゆきちゃんは
当時同じ病院に入院していた母の病室の
ちょうど真上の病室だった
母は4階
ゆきちゃんは5階
病室は本当に上と下
県内では本当に大きな病院で
病棟もいくつもあるのに
そんな中で
同じ病棟の上下の病室になることも
本当は奇跡的だと思うのだけど

その話を
ゆきちゃんのお母様にしたら
「呼んでたんだと思います
伝えたいこともあっただろうけど
自分のこんな姿は見せられない
それでも側に居て欲しくて
呼んだのだろうと思います」と

それが
ゆきちゃんの本意であれば
生きている私が何かをアレコレ思うことは
もう止めた方が良いのかなぁと
そんなことも思った

5年という歳月
ゆきちゃんとは会えないし
声も聞けないけれど
でも今もいつも
会いたいときに会える大切な友達
そんな気持ちは変わらない

今日は
ゆきちゃんとも
いっぱい語り合いたいと思っている

高校3年のあの秋の雨上がり
自転車の2人乗りをして
家まで送ってくれたこと
もう本当にものすごい前の出来事なのに
昨日のことのように思い出してる

もし未来を知ることが出来たら
私はどんな風に歩いただろう