ここのところの学びのテーマは
【尊厳死】
人それぞれ
様々な考え方があるだろうと思う
もしかしたら
【尊厳死】を考える機会も
あまりないかもしれない
そして「尊厳」とは・・・も
よく分からないかもしれない
私は大切な人を23年前に見送った
その人は自分の余命を
知らされていなかった
それでも日々弱っていく体に
余命を感じていなかったわけではないだろうと
今なら思う
私に「死ぬこと」を面と向かって
「怖い」とは言わなかった
私以外の人には
どんなに激しい痛みの中にあっても
それは家族であっても
絶対に見せることはなく
もし自分が
この人と会う最後であっても
その人の中に
笑顔の自分を遺したいと
いつも笑っていた人だった
だからこそ抱えていた想いは
想像を絶するものだと
今も思う
他の人に対しては
笑顔を見せていたけれど
私が今も思い出すのは
痛みにゆがめる表情だったり
悔しさを表現する言葉だったり・・・
あまり笑顔は思い出せない
私の前でだけは
偽ることのない感情を
出していたのだろうと
今だから思える
今でも時々・・・
通院中にふと思い出して
涙があふれることがある
私に出来ること
その人の生きたかった未来を
私は歩いている
その時間を
その人の分も大切に歩くこと
そして私の命ある限り
忘れないでいること
人は自分が居なくなった後
誰かの記憶にあり続けたいと
願うものだと
私は思っているから
その人は
もし余命を知らされていても
尊厳死を選択する人ではなかったと思う
最期のその瞬間まで
痛みも感情も
生きているからこそ感じられること
そう思っていた人で
自らが尊厳を保ち死ぬという事は
考えもしていなかったと思う
でも・・・もし
尊厳死を選択していたら
私はどうしただろうと考えた
きっと自分自身の気持ちや想いを
優先したら
それは受け入れられない事だろう
でも私は
自分の中の葛藤がどうであれ
その人の選択を
受け入れただろうと思う
そして
その日までの時間を大切に
悔いを残さないよう見守って
出来る限り笑顔で
傍にいただろうと思う
私が今を歩けるのも
生き方を変えてくれたのも
その人との最期の1年があったから
私を縛ることなく
未来を歩いていけるよう
自分の命を削りながら
導いてくれた人
たったひとつの約束
100年後
絶対にお互い胸を張って
それぞれの時間を歩いてきたと
笑顔で言える再会をしよう・・・
あと77年・・・
どの場所にいても
誰といても
私はこの約束を
守りたいと思っている
どのような死でも
遺されたものには悲嘆が襲う
私がこの悲嘆を克服できたのは
ナラティブだった・・・
そのお話は・・・
また・・・いつか・・・
追記
私はその人との出来事を
心に隠しているわけではない
敢えて積極的には話さないけれど
当時リアルタイムに私のことを
知っていた人たちとは
今でも当たり前に
その人の話をしている
思いだしてあげられる
大切な時間だから
明日は当たり前に
来るわけではないこと
生きているのではなく
生かされていること
そしてそこには必ず
その人に与えられた使命
役割があること
それを教えてくれた人
だからこそ
今でも大切な人であることに
変わりはない
だからこそ
話せない思い出ではないし
話せない過去でもない