私は受精障害も着床障害も抱えている
わたしは受精卵にはじめて出会えた時の感動を
今でも忘れられない
受精卵は当たり前に得られると思って
不妊治療に飛び込んだ
正確には簡単に授かれると思っていた
でも私は当たり前に受精卵には出会えなかった
だからこそ
はじめて受精卵に出会えた時の感動は
当たり前に受精卵を得られた人とは違うと思っている
受精しないことが続くことは
私にとっては特別なことではなかったけど
かといってその経験や
その時味わう感情に慣れることもなかった
僅かな喜びも
当たり前に受精する人の
何倍も嬉しかったと思っているし
その裏には受精しないという経験からもたらされた
地獄のような辛さもあったからだと思っている
でも・・・
私は今振り返っても
そこにあったのは辛さや苦しみだけではなかったし
むしろその感情や経験をしたからこそ
味わえた喜びのほうが
とても大きく心に浮かんでくる
受精しないから
着床しないから
それだけに目を向けると
ただただ辛くなる
私は幸いそのつらい経験をバネに
「やれること探し」をずっとしてきた
医師任せにしない
疑問を突き詰める
なんとなく感じていることを大切にする
それは今でも変わらない
執念だと思うことも有るけど
やれることはないと思っていても
やれることは意外とたくさんある
でもそれは医師任せにしたら気づけない
授かりたい気持ちが本物なら
「やれること探し」は絶対に大切