心理学を学び始め
認知症の由来がなんとなく理解できるようになってきたけど
最近の父は
かなり進行してしまい
認知はどんどん歪む・・・というより
後退している感じ
今は言語をどの程度理解しているか?
見えるもの・感情・・・
私たちが当たり前に使っている言葉を
理解できるのかわからない
この間
母に言ったそうだ
パンツは洗って干したら奇麗になる
一見正常に聞こえるが
この「パンツ」とは紙パンツのこと
ここのところ
排泄感覚はほぼ無くなっていると私は感じていて
トイレに行きたいから(排泄間を感じて)行くのではなく
習慣的にトイレにはいくけど
失敗するほうが明らかに増え
出ていることも感じていない
それで母の仕事は増えるのだけど・・・
認知がゆがむ、後退することは
言われている意味も理解していないということで
おそらく言葉ではなく
感じ取っているのは
相手から発せられる雰囲気だったり
顔の表情だったりで
そこから何となく読み取っているというか
潜在的に感じているというか・・・
いつも寝ているから
何を考えていて
何を思っているのか
想像もつかない
辛いと感じることも
悲しいと思うこともあるのかもしれないけど
言葉として感情はほとんど表現されないから
こちらもわからない
もしかしたら
辛いという感情を「つらい」と表現することも
忘れてしまったかもしれない
ちょっと切ないね
介護は戦うことが多い
介護する側だけではなく
介護される側も
介護する側以上に戦っていると私は思っている
でも・・・それを当たり前に表現できない
そしてそれを100%理解してあげることもできない
それでも・・・
なんとなくの距離感を保ちながら
それぞれが生きやすく過ごせたら・・・
それを考える日々・・・
誰の上にも起こり得る「介護」という現実を
少しでも楽しめる術を探せたらいいのだけど
厳しい現実しかそこにはない・・・
父の場合はアルツハイマ-のように
記憶をどんどんなくしてしまうタイプではないから
さらに余計大変だったりする
忘れていってしまってくれたらいいのにと思うことも
正直ある
何故なら
日によって記憶が現在に近いことがあり
かと思えば数時間後には何十年も前に行っている
今・・・父が何歳のところにいるのかが
一日の中でコロコロ変わってしまうから対応が難しい
最近ではパーキンソン症状もかなり進み
手の震えは顕著になった
父には父なりの生きづらさがある
それを理解しつつ援助することもまた
家族の生きづらさとなっている
それでも自分の家で
家族と共に過ごせることは
それだけでも幸せだと・・・
そうそれぞれが思うことで
今を歩いているように思う
いずれ自分が行く道かもしれず
ただ・・・正直
どなたかに迷惑をかけながら生きることは
私は本意ではない・・・
今から予防できるのならしたい・・・と強く思っている
掃除をしに部屋に入ったら
「おわったよー😃」って言ったら
久し振りの最高の笑顔をしてくれた
でも何となく娘と感じていない気配
そう言うのが時々切なさに拍車をかける