長いので時間ある時に読んで下さい
実はよっさんとの日々を記すものは
ほぼ残っていない
スケジュール帳や
留守電メッセージ
写真・・・
10年くらい前
テレビを見ていて
亡くなった人の遺品を
持ち続けていることは
亡くなった人が
今生に思いを残し続け
離れなくなり
成仏できないと
その話に
納得する部分が多く
処分したから
だから
よっさんとの日々だけでなく
Yちゃんとの日々も
記憶だけが頼りなところばかり
怪しい記憶もあるのだけど
そんな中で
どうしても捨てられなかったのが
よっさんに書いた
「渡せなかったラブレター」日記
そこにはその時々の出来事と
よっさんへの想いが綴られている
私がよっさんとの事を
乗り越えられたのは
この「渡せなかったラブレター日記」で
毎日毎日想いのたけを書いてきたから
その断片から
Yちゃんとの出来事を追いかけていくしかなくて
今、ちょっと思う
処分しなきゃ良かった!
でも処分したから進めた道もあった
高校の時
友達が美術部で
放課後は美術部員でもないくせに
毎日、美術室へ通ってた
顧問の美術の先生も
笑いながら
「ほぼ部員(笑)良いよ!良いよ」
でも絵を描くことは大っ嫌い
何をしていたかというと
美術室のベランダから校庭が見えて
グランドでは運動部が汗を流してた
私はただひたすらグランドを走っている
陸上部員をベランダの手すりに
頬ずえついて見ているのが好きだった
それは高校の三年間
ずっと日課になっていた
Yちゃんとはクラスの違った1年の時
たった1度だけ話をしたことがあった
そのことは書いてある日記があるけど
何を話したかまでは
書いていない
肝心なことを書いていない
でもYちゃんと話したことを書いているという事は
私の中ではその頃から
意識していた人物だったのだろう
2年になってからは
グランドを走るYちゃんだけを
目で追っていた
その姿に
自分では追えない夢を
重ねていたのかも知れないと思う
恋でもなかったころから
ずっと何故か
Yちゃんのひたすら走る姿を見ていた
そのことは
今も当たり前に思い出せる
社会人になって
Yちゃんは実家に戻ってきた
いわゆる公務員
その関係でパソコン教室のお誘いがあった
思えば
よっさんと私を結んだのは
Yちゃんかもしれない
よっさんと初めての出会いが
このYちゃんに誘われた
パソコン教室だったから
うっわっ!
メッチャ繋がっていた
今更気付いた
公務員だから
当然異動があって
私の仕事と関連する部署に異動になった
もちろんクラス会で
私の勤務先は知ってたから
お互いに色んな事を
教え教えられていた
偶然バッタリ会ったこともあった
なぜだか同級生(男も女も関係なく)の中で
Yちゃんとだけは
切れそうで切れない関係が続いた
いつの間にか携帯の番号を教え合っていたり
メールアドレス交換してたり
会社の後輩の結婚式に行ったら
後輩の旦那さん側に呼ばれてきてたり
なくなる前の8年近くは
よく連絡を取っていた
飲みに行く約束も
焼き肉に行く約束も
ワインをプレゼントするという約束も
どっか遊びに行こうという約束も
約束は沢山したのに
いつでも会えるクラスメート
そんな想いからか
果たせなかった
私がYちゃんの顔を見たくなったら
会いたくなったら
Yちゃんの仕事場に顔を出してた
Yちゃんと共に仕事をしてる課の人たちは
私とYちゃんとの関係を
特別なクラスメート
そう思っていたようだった
今でもその課に残っている人は
時々仕事で電話をかけてくるけど
やっと私にYちゃんの名前を
出せるようになったらしく
思い出を語れるようになった
私はずっとずっと
好きだった
誰が1番とかそう言うことではなくて
Yちゃんは本当にイイ奴だった
この人と一緒にいたら
見える景色が変わるだろうなぁ
よっさんとの別れの後
私とよっさんとの事を
何一つ知らないにも関わらず
「今」を歩くことの大切さへ
導いてくれた人だった
出会ってから
Yちゃんへの想いは
多分変わっていない
いつも切ない苦しい「好き」じゃなくて
温かくて日だまりにいるような
そんな「好き」だった
つらい思いをしたことも
苦しい気持ちになったことも
不思議となかった
振り返っても
辛かった記憶がない
もし付き合えたとしても
いつか別れが来るのなら
ずるくてもイイから
年老いるまで
クラスメート
友達でいた方が良い
そんな気持ちも
間違いなくあった

20年前のクラス会
どう見ても
恋人同士に見える
でも友達
それが良いと思っていた
比べられない思い出
人には大切にしたいものは
たったひとつではない
よっさんが亡くなったときも
Yちゃんが亡くなったときも
私は一生分だと思うくらい
静かに泣いた
気持ちも感情も凍り付いていたように
静かに溢れてくる涙を止められなかった
よっさんが亡くなった後
私が歩いてこられたのも
Yちゃんの存在があって
その存在に支えられてきたから
それだけはホント
亡くなったYちゃんの遺影に
私はこれからどう生きていけばいい?
そう問いかけたのもホント
今Yちゃんとの思い出に
とりつかれているのは
私が気づくべき大切なことを
Yちゃんがサポートしてくれているのだと
ちょっと感じている
こんなときは
思い出の中から
紐解いている
そして
もうひとつ
このことから広がった
もうひとりの親友の死を
私は昨日
受け止めることになった
それはまたいつか・・・
実はよっさんとの日々を記すものは
ほぼ残っていない
スケジュール帳や
留守電メッセージ
写真・・・
10年くらい前
テレビを見ていて
亡くなった人の遺品を
持ち続けていることは
亡くなった人が
今生に思いを残し続け
離れなくなり
成仏できないと
その話に
納得する部分が多く
処分したから
だから
よっさんとの日々だけでなく
Yちゃんとの日々も
記憶だけが頼りなところばかり
怪しい記憶もあるのだけど
そんな中で
どうしても捨てられなかったのが
よっさんに書いた
「渡せなかったラブレター」日記
そこにはその時々の出来事と
よっさんへの想いが綴られている
私がよっさんとの事を
乗り越えられたのは
この「渡せなかったラブレター日記」で
毎日毎日想いのたけを書いてきたから
その断片から
Yちゃんとの出来事を追いかけていくしかなくて
今、ちょっと思う
処分しなきゃ良かった!
でも処分したから進めた道もあった
高校の時
友達が美術部で
放課後は美術部員でもないくせに
毎日、美術室へ通ってた
顧問の美術の先生も
笑いながら
「ほぼ部員(笑)良いよ!良いよ」
でも絵を描くことは大っ嫌い
何をしていたかというと
美術室のベランダから校庭が見えて
グランドでは運動部が汗を流してた
私はただひたすらグランドを走っている
陸上部員をベランダの手すりに
頬ずえついて見ているのが好きだった
それは高校の三年間
ずっと日課になっていた
Yちゃんとはクラスの違った1年の時
たった1度だけ話をしたことがあった
そのことは書いてある日記があるけど
何を話したかまでは
書いていない
肝心なことを書いていない
でもYちゃんと話したことを書いているという事は
私の中ではその頃から
意識していた人物だったのだろう
2年になってからは
グランドを走るYちゃんだけを
目で追っていた
その姿に
自分では追えない夢を
重ねていたのかも知れないと思う
恋でもなかったころから
ずっと何故か
Yちゃんのひたすら走る姿を見ていた
そのことは
今も当たり前に思い出せる
社会人になって
Yちゃんは実家に戻ってきた
いわゆる公務員
その関係でパソコン教室のお誘いがあった
思えば
よっさんと私を結んだのは
Yちゃんかもしれない
よっさんと初めての出会いが
このYちゃんに誘われた
パソコン教室だったから
うっわっ!
メッチャ繋がっていた
今更気付いた
公務員だから
当然異動があって
私の仕事と関連する部署に異動になった
もちろんクラス会で
私の勤務先は知ってたから
お互いに色んな事を
教え教えられていた
偶然バッタリ会ったこともあった
なぜだか同級生(男も女も関係なく)の中で
Yちゃんとだけは
切れそうで切れない関係が続いた
いつの間にか携帯の番号を教え合っていたり
メールアドレス交換してたり
会社の後輩の結婚式に行ったら
後輩の旦那さん側に呼ばれてきてたり
なくなる前の8年近くは
よく連絡を取っていた
飲みに行く約束も
焼き肉に行く約束も
ワインをプレゼントするという約束も
どっか遊びに行こうという約束も
約束は沢山したのに
いつでも会えるクラスメート
そんな想いからか
果たせなかった
私がYちゃんの顔を見たくなったら
会いたくなったら
Yちゃんの仕事場に顔を出してた
Yちゃんと共に仕事をしてる課の人たちは
私とYちゃんとの関係を
特別なクラスメート
そう思っていたようだった
今でもその課に残っている人は
時々仕事で電話をかけてくるけど
やっと私にYちゃんの名前を
出せるようになったらしく
思い出を語れるようになった
私はずっとずっと
好きだった
誰が1番とかそう言うことではなくて
Yちゃんは本当にイイ奴だった
この人と一緒にいたら
見える景色が変わるだろうなぁ
よっさんとの別れの後
私とよっさんとの事を
何一つ知らないにも関わらず
「今」を歩くことの大切さへ
導いてくれた人だった
出会ってから
Yちゃんへの想いは
多分変わっていない
いつも切ない苦しい「好き」じゃなくて
温かくて日だまりにいるような
そんな「好き」だった
つらい思いをしたことも
苦しい気持ちになったことも
不思議となかった
振り返っても
辛かった記憶がない
もし付き合えたとしても
いつか別れが来るのなら
ずるくてもイイから
年老いるまで
クラスメート
友達でいた方が良い
そんな気持ちも
間違いなくあった

20年前のクラス会
どう見ても
恋人同士に見える
でも友達
それが良いと思っていた
比べられない思い出
人には大切にしたいものは
たったひとつではない
よっさんが亡くなったときも
Yちゃんが亡くなったときも
私は一生分だと思うくらい
静かに泣いた
気持ちも感情も凍り付いていたように
静かに溢れてくる涙を止められなかった
よっさんが亡くなった後
私が歩いてこられたのも
Yちゃんの存在があって
その存在に支えられてきたから
それだけはホント
亡くなったYちゃんの遺影に
私はこれからどう生きていけばいい?
そう問いかけたのもホント
今Yちゃんとの思い出に
とりつかれているのは
私が気づくべき大切なことを
Yちゃんがサポートしてくれているのだと
ちょっと感じている
こんなときは
思い出の中から
紐解いている
そして
もうひとつ
このことから広がった
もうひとりの親友の死を
私は昨日
受け止めることになった
それはまたいつか・・・