「シルバーバーチの霊訓」の再読は少しづつだが進んでいる。

 

昔読んだときには全く気にならなかったことが気になってきた。

 

じっくり読んでいることも加えて、

 

そういうわけだから、なかなか読み進まない。

 

 

今日の気づき。

 

歴史の認識について。

 

どんな古文書でも、どのような聖典と言われるものでも、

 

よほど注意して引き継いでいたとしても、

 

人間による何等かのご都合が付け加えられのは世の常だとは理解している。

 

もちろん、そこに人間の勝手な解釈が加わっていることも。

 

私は疑い深いタチで、何事も妄信しないようにしているが

 

今日は、気づいたことを記録しておきたい。

 

たとえばキリストについて。

 

処刑後の復活は、霊体が物質化のギリギリのところで見えたものとする説。

 

処刑されたのは双子で瓜二つのイスキリで、知らせを聞いたキリストが日本から戻ってきたという説。

 

キリストは晩年は日本にいたという説。等々...

 

何等かの証拠物?が残っているとはいっても、それが真実かどうかは、

 

はっきり言って現在、確かめることはできない。

 

どれが真実か...と悩むところだが、(実際、1分ぐらい悩んだが)

 

こういう時は冷静に正直ベースでいくことにしている

 

今現在、歴史の真実を確認する方法はない

 

→認識できるのは私の目の前の物事と、今までの個人的な体験だけ。

 

という結論に落ち着いた。

 

なので、

 

追えない歴史を追わない。

目の前にある自分でできることを精一杯やること、今はそれで良しとする。

・霊性の向上に努める

(シルバーバーチ他、今までの学びの中で確信したことを日常で実践する)

・見える世界、見えない世界のバランスを取る(調和を目指す)

 

シンプルだけど、これでいいのだ。(今のところ)

 

 

いつも何かの安心感に包まれていることに感謝

 

 

 

「私たちの存在そのものと宇宙を運行する働きは同じ」

 

シルバーバーチはそう言う。

 

この霊訓は、深く響いた。

 

この地上に肉体をもちながら、広い宇宙とのつながりを感じた。

 

そして、「(自分の)理性に反する内容なら拒否してよい」

 

シルバーバーチは何度も繰り返して言う。

 

私たちの自由意志を尊重してくれるとともに、

 

やがて、ベストなタイミングで、、、

 

最も自然な状態で私たちそれぞれが受け入れる時期があることを含ませているように感じられる。

 

まだまだ霊性の未熟な地上の私たちではあるが、その状態を丸ごと受け入れて、その時を待つ姿勢。

 

私たちがどのような状態であっても、だ。

 

私自身も何事も押しつけはよろしくない、と強く思っている。

 

地上では特に双方向、多方向の理解があって進むこと、

 

何事も自然に運ばれる時がある、と思うからだ。

 

今までの人生の中でも、「運ばれる感覚」を大切にしてきたし

 

実際に何度か体験したことを覚えている。(多くの失敗もあったが)

 

特に、見えない世界に関わることに関しては、そうであったと確実に言える。

 

いくら自分が良いと思うものであっても、押し付けることで、様々な歪みを生む。

 

先日、身の回りでおきた出来事。

 

少し前に、ご主人が亡くなったという方からうかがった話。

 

そのご主人の告別式に、ある宗教団体の方が訪れ、

 

その団体のお経?を親族が集まるその中であげたい、と言ってきたのだそうだ。

 

もちろん、丁寧にお断りしてお帰りいただいたそうだが、

 

これでは、その宗教に向けられる疑いの眼差しが強くなることはあっても、

 

その宗教に人が集まることはないだろう。

 

自然の流れ、実際には霊界や、宇宙の働き、大自然の法則による自然な流れに乗り、

 

一人でも多くの方が見えない世界の仕組みに触れる機会ができれば、と思う。

 

それが宇宙の意図に乗る、という意味で意乗り、イノリなんだと、思っている。

本当に久しぶりに「シルバーバーチの霊訓」を再び読み始めた。

 

最初に読んだのは何年前だったか?

四半世紀以上前かもしれない。

 

そんなあいまいな記憶をたどりながら、読み進めていくと、、、

どういうわけか、一行一行、一言一言が沁みわたる。

 

当たり前といえば当たり前で、何年もの間に私にも酸いも甘いも様々な出来事があり、歳を重ねてきたのだから、昔読んだときと同じ感覚ではないだろう。

 

しかし、以前読んだときとおそらく、同じ感覚だろう。大きな安心感に包まれた。

 

ここ何年も私が固執していた部分までもが解けていくようであった。

 

直観的に「(私を)檻の中に入れていたのは自分自身だった」と、気づいた。

 

頭だけでの理解とは確実に違う、霊(意識)の内部からの気づきだった。

 

「シルバーバーチの霊訓」の再読は、はじめたばかりだが、最初から自分のあり方を大きく見つめ直す機会をいただいている。

 

地上では、私たちは肉体をもった存在なので、どうしても目に見える物質的な尺度で物事を判断してしまう傾向が強いけれど、見えない世界の働き(シルバーバーチは霊的な尺度、と話している)があることを実感した出来事だった。

 

その時得た大きな安心感は、今のところ薄れることなく大きな宇宙に包まれている感覚が続いている。

 

感謝