Xジェンダーとしての視点 | Alas estrellas ***30代選択子なし夫婦の徒然雑記

Alas estrellas ***30代選択子なし夫婦の徒然雑記

産まない選択をしました*親友で恋人で一番の理解者である夫と、のらりくらり気ままに暮らす30代兼業主婦*本や映画のオススメなどをゆるーく語っています。

ALAです。

 

昨日のブログでも

大学時代の恩師と飲んで

考えたことを書いたのですが

 

その日、もうひとつ

考えさせられたことがあって。

 

 

自分がXジェンダーであることについて、

カミングアウトしている相手は

非常に少なくて、

 

行きつけのバーではオープンにしてましたが

学生時代だったり、職場の同僚とかで

カムアウトしている相手は

たぶん2人。。。だと思う。。。

 

無意識的に話してるかもですが。

 

 

しょっちゅうつるんでいる

学生時代の友人たちには

別に話してもいいんですけど、

敢えて時間を取ってカミングアウトする

必要性をあんまり感じないので、

 

はっきりと、自分は流動的性なんですと

話したことはないです。

 

 

なんですけど、

先日、ゼミ生と教授と飲んだ際に

まぁいろいろ政治的な話になりまして、

(政治学科卒なもんで)

 

自分の意見を言う際に、

「最近、“Xジェンダー”っていう性自認の

交流会にちょいちょい出席してましてね」

と切りだしてから話し始めて。

 

えっなにそれはLGBT的な?

と聞かれたので、まぁそんな感じですと

さらりとその辺は説明して

 

そこで出会った方たちと話して感じたこと、

特に昨日のブログに書いた

「男性化する女性」の

女性嫌悪について、などなど

今まで色々考えてきたことを話してきました。

 

 

その際、ゼミ生にも教授にも

「お前、LGBTだったん?」など

自分のことについて聞かれることはなく

 

自分がXジェンダーとして活動する中で

様々な方と話して感じてきた内容の方に、

教授も興味を持っていろいろ聞いてくれて。

 

 

それがやっぱり嬉しかったですね。

 

 

何が嬉しかったか、というのは

なかなか言葉では表現しづらいのですが、

 

性別関係なく接してもらえるとか

セクマイであることを受け入れてもらえるとか

そういうことではなくて

 

自分が、Xジェンダーという

マイノリティの視点を持っていることで

社会がどんなふうに見えていて

どんな歪みに気づくことが出来るか、

 

というのを

認めてもらえるのが嬉しいというのかな。

 

 

結局のところ、

ジェンダーアイデンティティがなんであるか、

というのは、

自分の物事の考え方においては

「出発点」にすぎないと思うんです。

 

自分がXジェンダーである、というのが

自己認識の帰結点ではない。

 

 

「自分は、社会において

Xジェンダーっていう立ち位置です」

で終わるのではなくて、

 

「自分は、Xジェンダーっていう視点から

社会をこういうふうに見ていて、

特にこういう点に怒りや疎外感を覚えたり

帰属意識をもつ人間です」

というところまで表現が出来ること、が

やっぱり一番大事かなと思っています。

 

 

なので、

自分が一番尊敬している指導教授や、

生涯の友だと思える仲間たちに、

 

「自分、実はXジェンダーでして」

とカミングアウトするのではなく

(多分、そういう形で話していたら

「へぇ。。。」「で?」で終わってたと思う)

 

「自分、Xジェンダーとして

こういう活動してて、そしたら

日本の政治ってこういう構造になってて

こういうふうに歪んでいるなって

思うようになったんですよね」

 

というふうに、思考を展開させて

セクシャリティのカミングアウトとしてだけでなく

政治的意思として伝えられたことが、

本当に嬉しかったです。

 

 

そこまで思考を展開・発展させるには、

Xジェンダーの交流会に参加したり

こうしてブログで考えをまとめたり、

という活動が絶対に必要だったし、

 

自分にとって必要な活動を

きちんと行ってこれたことの蓄積のおかげで

彼らに自分の考えを伝えることが出来た、

というのがなんだか誇らしかったですね。

 

 

結局何が言いたいかというと、

いくつになっても、尊敬する恩師から

「頑張ってるね」と褒められるのは

嬉しいもんだ合格っていう話です。

 

 

久しぶりに「京はやしや」の

ジャスミンティーパフェ食べてきましたキラキラ

うますぎるーーー音譜