成人式の思い出 | Alas estrellas ***30代選択子なし夫婦の徒然雑記

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産まない選択をしました*親友で恋人で一番の理解者である夫と、のらりくらり気ままに暮らす30代兼業主婦*本や映画のオススメなどをゆるーく語っています。

ALAです。

 

昨日は成人の日。

振り袖姿の女性を多数見かけました。

寒いし、雨だし、御苦労でした。

 

 

自分の成人式は12年前。。。

成人式の思い出も

いろいろ苦々しいものがありますが、

 

高校時代はベリーショートだったので、

成人式までに、髪を結えるくらいまで

伸ばさないといけなくて。。。

大学入学と同時にヘアカット制限令が

出たのが一番つらかった。。。

 

 

我が家は、祖母が仕立てた

ピンクと赤の2着の振り袖を、

叔母、母、従姉たち、姉、と

親族の女たちで代々着ていて。

 

物心ついたころから、

「あんたは、赤かね~」

「あんたは、ピンクかね~」

「あんたは、どっちも似合うから

前撮りは赤、式はピンクにしなさい」

などなど

 

どちらかを着ることが大前提、

着させることが上世代の喜び、

みたいなものでした。

 

 

普段の服装には、

性別のこだわりがない自分も

振り袖だけはなぜかとても嫌でした。

 

ちなみに、振り袖が嫌、というだけで、

袴が着たい、スーツが着たい、という

訳でもなかったです。

 

式だって絶対出たくなかった。

振り袖姿で人に会いたくなかった。

そもそも会いたい人もいないし。。。

 

テレビで、成人式の出席率が低くて

どうのこうの言っているのを観て、

行かずにいられる人たちが羨ましくて。

 

 

「ばあちゃんが仕立てたものだから」

「親族で代々着ているものだから」と、

 

振り袖を着ないことも、

式に出席しないことも

選択させてもらえない状況が

辛くて辛くて、

 

その上、髪も伸ばさなきゃいけないし

 

18歳の4月~20歳の1月までは

本当に、今までの人生の中で

メンタル的に最悪の期間でした。

 

もちろん、

成人式を控えていたから、という

理由だけではなかったけれど。

 

 

ただ、ひとつだけ

 

前撮りは、代々使用していた

祖母の家の近くの写真館で

撮影をしました。

 

当時、祖母は既に

認知症がかなり進行していて、

母や叔母のこともわからないし

話をすることもままならなかった。

 

写真館での撮影を終え、

振り袖姿で、祖母のいる介護施設へ。

 

無表情で、焦点の合わない目で

ぼんやりと座っていた祖母が、

振り袖姿の僕をみたとたんに

ぱっと笑顔になって

 

「きれいだなぁ、きれいだなぁ」と

嬉しそうに手を握ってくれました。

 

 

そのときだけ、

あ、着て良かったな、と

 

嬉しいな、と思いました。

 

 

前撮りの写真も、式の写真も、

振り袖を着ている自分が

笑っているカットは一枚もないけれど

 

介護施設のソファで、

祖母と並んで撮った一枚だけは

笑っている自分がいます。

 

祖母はカメラの方向いてないけど!笑

おーーーい!

 

 

親には、自分なりの幸せな生き方を

認めてほしいと思うけれど、

じいちゃんばあちゃんには

たとえ自分の意志を殺してでも、

喜んでほしいんだよなぁ。

不思議。。。

 

 

まぁ、でも

良かったのは本当に

祖父母が喜んだってことだけ!!!

 

成人式は最悪だった。。。

似合ってない、絶対変だって

自分で思っているから、

周りの人たちの笑い声が

全部自分への嘲笑に聞こえてて

もうほんと、終始逃げ出したかったあせる

 

式が終わったらすぐに帰宅し、

全部脱いでその足で美容院に行って

ばっさり髪を切り落としました!

 

あの時の解放感といったら!!!

忘れませんね、本当に爽快だった!

 

 

もう絶対着物なんか着ない!!

と宣言し、2年後の大学卒業式でも

レンタル袴を着せたがる母に

冷たく「死んでも嫌だ」と言い放ち

スーツで出席することを強行。

(しかし当日寝坊し、卒業式自体欠席)

 

女性だからこれを着る、なんてのは

二度とご免だ、成人式で終わり!

ここからは完全に自由意思だ!!

 

と、ある意味本当に

自主自立した成人になった

ひとつの区切りでございました。