本音 | Alas estrellas ***30代選択子なし夫婦の徒然雑記

Alas estrellas ***30代選択子なし夫婦の徒然雑記

産まない選択をしました*親友で恋人で一番の理解者である夫と、のらりくらり気ままに暮らす30代兼業主婦*本や映画のオススメなどをゆるーく語っています。

ALAです。

 

へこんでいるときには

あまりブログを書かない方が良いという

タイプの人間なので、

ずしーんと落ち込んでいる今日は

あまり書かない方がいいのだけど。

 

でも、なんとなく

今日書きたいことが、いちばん

自分の芯の部分に近いのかな、と

思ったので

おそるおそる残しておきます。

 

 

自分は、

ジェンダー・フルイド(流動的性)です。

 

ベースとなる肉体は女性ですが、

心の性が常に揺れ動いています。

 

男でもなく、女でもない 無性

男でもあり、女でもある 中性

 

そして、無性か中性か

それとも明確に男か女のどちらか、
その4つが、時と場合と相手によって

常に流動している不確定性

 

要は、心の性の迷子です。

 

 

性志向についても、

男性も好きになるし

女性のことももちろん好きになります。

 

好きになるのに性別は関係ない

思うときと、

明確に性別を意識して好きになる、

つまり

 

男性として女性を好きになったり

女性として女性を好きになったり

女性として男性を好きになったり

 

いろんなパターンがあって

性志向もまた流動的です。

 

 

様々な組み合わせのパターンで

日々、異なるセクシャリティに属する中で、

 

ときには

心も体も女性で、男性を好きになる

シスジェンダーのヘテロセクシャル、

要は「マジョリティ」になることもあります。

 

そして、マジョリティである瞬間には

自分がこのブログを始めたこと、

ALAという裏の名前を持ったことを

激しく後悔するのです。

 

見なくてもいい社会を見て、

感じなくてもいい痛みを感じて、

遠目で見ていればいいはずの世界に

なぜ足を踏み入れてしまった、と。

 

 

それから、

明確に「女性を好きだ」と感じているときは、

なぜ、結婚を早まったのか

なぜ、もっと早く女性が好きな女性として

そのコミュニティに属さなかったのか

 

今までの人生すべてを

深く深く後悔することもあります。

 

 

要はパズルみたいなもので、

「悩む組み合わせ」パターンが

いくつかあって

 

シスヘテロのときには

自分はマジョリティなのだから

悩む必要などない、と

セクマイのコミュニティから出たくなり、

 

レズビアンのときには

既婚の身ではレズビアンコミュニティに

いまさら入れないことを悔やみ、

その疎外感から、やはり

セクマイのコミュニティから出たくなる。

 

 

それ以外のときは

ジェンダー・フルイドのALAとして

わずかながら築いたこの場所が

いちばん、正直でいられる場所。

 

 

結局、揺れ動く性を持っていることが

自分の一番の悩みであって、

悩むスパイラルに入ったとしても

それは自分で消化するしかない。

 

どんな社会に暮らしていたとしても

社会制度がどうであったとしても、

自分の悩みは尽きないと思う。

 

隣の芝生は常に青いばかり。

 

 

社会に出て仕事をしている中で、

仕事柄、常に女性が多い

平等でフランクな職場にいたためか

性差別に苦しんだことは一度もなく、

 

中学生のときから

セクシャリティは超オープンだったけれど、

おバカなレベルでオープン過ぎたせいか

そのことでいじめられたこともなく

 

実に幸せなことに、

セクシャルマイノリティとして

社会に生き辛さを感じたことがない。

 

だから、

自分の苦しみを解消する手段としては、

社会に何の変革も求めない。


 

 

同性婚の合法化や

LGBTの権利向上のための運動など

そういったことに共感はするけれど、

 

当事者としてではなく

「アライ」の立場をとっている。

 

なぜなら、

自分は常に当事者なわけではないから。

 

 

 

こういう本音を言っていいんだろうか。。。

わからん。

でもここでは正直でありたい。