オリンピック盛り上がってますね。

日本人たくさん金メダルとってますね。

家族で日本を応援してました、まなまなです。

そして先週お話した『闇の子供たち』の書籍を読みました。

ヤン・ソギルさんが幻冬舎文庫で出しています。

まだ最後まで読み切ってはいませんが、

映画同様、「過激で、生々しく、グロテスク」な描写です。


よく聞く話だけどさ。

あたしがちょっと何かを我慢したら

誰かのワクチンが買えるんでしょ。

ポッキーとか、アクセサリーとか、パーマとか、スイカとか…

そのお金で、誰かの命が助かったり、誰かの子供が鉛筆を買えたり、誰かが安全な水が飲めるんでしょう。

もしもだよ?、オリンピック中止にしたら、きっとそんなの比じゃないよね。

でも人はそうしない。

ポッキーをおやつに食べるし、可愛くなりたくてアクセを買うし、パーマだってかけるし、夏はスイカが食べたくなる。

目の前の名前を知ってる人を自分の世界から喪失することは、誰もが怖くて避けたくて。

世界の名前も知らない誰かが今この瞬間にも、この地球から喪失していることは、痛くもかゆくもなくて。

「誰か」の苦しみとか、「誰か」の痛みとか、「誰か」の死とか。

そういうのに何も感じない、ってか感じる心の余裕がないのが人間なんだよね。

世界の見知らぬ「誰か」の命をと引き換えに、自分の子供の命を守る登場人物を

この話は、痛烈に批判していた。(ようにとれた)

でもあたしには恵子みたいな自信はもてないんだ。

もしも私の世界から消えゆくはずの肉親を救う方法があるならば、私はどうするだろうか。

自信をもって断言できない自分が、恥ずかしくて、情けなくて、悔しくて、そして悲しい。




「フェアトレード」という言葉の向こうにある現実は

見れば見るほど自分が醜く感じるものかもしれないし、目をそむけたくなるものかもしれない。

それでも、フェアトレードという言葉を通して、何かを考えることはとてもとても大切なことだと思うのです。

本と映画を見ながら、そんなことを考えて、世界と頭の中をぐるぐるしていたまなまなでした。