1988年の青葉賞は、今では有り得ないオープン特別がデビュー戦という変わった馬がいました。
その名はジュネーブシンボリ。
写真載せたくて検索しましたが…出ませんね。
代わりに同じシンボリからアイルトン載せておきます
この年は笠松からやってきたオグリキャップがクラシックに出られない憂さを晴らすかのような重賞連勝を続ける中で、東京で代替開催になった皐月賞は大穴ヤエノムテキが制し、ダービーはどうなるのか混沌としていました。
2歳チャンピオンのサッカーボーイは脚部不安で皐月賞を回避、弥生賞を制して皐月賞を3着したサクラチヨノオーが最有力か?という状況。
ジュネーブシンボリがなぜデビュー戦にダービートライアルを選んだのか?
真相は知りませんが、順調に仕上がっていれば大きなところを狙える馬だったことは血統的にも明らかでした。
シンボリルドルフが3冠を制して、翌年にはシリウスシンボリが異例のローテーションでダービーを制覇。この頃のシンボリ牧場が調子に乗っていたかどうかは知りませんが、デビュー戦のオープン特別を勝って出走権を獲得。そのままダービーをも…という野望があったと思われますね
そんなシンボリ牧場の思惑を知ってか、ファンは一番人気に推し、青葉賞に出走します。
番手から早くも先頭に立ち、まさかのデビュー戦オープン特別勝ちか!と一瞬思われたものの、1秒近く離された4着に終わりました。
仮に2着に入ってもオープン特別のため獲得賞金がなく、ダービーの出走を決めるには勝利しかなかったそうです。そこまでの覚悟を決めての出走…素晴らしいことかもしれませぬなあ
青葉賞を勝ったガクエンツービートは後に菊花賞でスーパークリークの2着、2着だったインターアニマートは中京記念を勝利して長く活躍しました。さすがに相手が強かったのでしょう。
ジュネーブシンボリはその後勝ち星を重ねてオープン入りしたものの、重賞では人気で凡走を繰り返し、最後は競争中止でこの世を去りました。
まだ仕上がり途中だったのだろう時期にダービーを目指してデビュー、オープン特別は勝てても何故か重賞になると走らず、人間の思惑を裏切り続けた馬でしたが…それは誰のせいなのか。
でも30年経った今も、オイラの心の片隅にいる馬なのです
デビュー戦が青葉賞、に至った真相を知っている人がいたら、是非教えて欲しいですね
