オイラが競馬を始めてから、重賞の1着同着を初めて見たのが1988年の第36回阪神大賞典でした。
3歳後半から条件戦→鳴尾記念→京都金杯と破竹の連勝中だったタマモクロスが断然の1番人気。
菊花賞、有馬記念の勝ち馬メジロデュレン、前年の阪神大賞典勝ち馬スダホークが続き、ダイナカーペンターは7頭立て5番人気と穴馬評価に過ぎず。
この当時、競馬界は東西でくっきり線が敷かれ、あの週刊競馬ブックは東西版で分かれていたし、夜の中央競馬ダイジェストは長距離レース途中からだったり、西の方の情報は少なかったのです。
ダイナカーペンターは引退レースの有馬記念以外すべて関西圏でしかレースをしておらず、はっきり言って全然知らない馬でした。
確か馬券も特別戦しか関東発売がなかったような…これはうろ覚えですが
ダイナカーペンターは元々逃げ馬、人気もなくスイスイと逃げ、本命タマモクロスは3番手からいつでも交わせる手応え。
ところがダイナカーペンターは気分良く行ったせいかなかなか止まらず、ゴール前追い込んで並んだタマモクロスと1着同着に。3着マルブツファーストがハナ差という大接戦。
連勝中のタマモクロスには唯一危なかったレースになりました。
その後天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)まで連勝を延ばしたタマモクロスと対称的に、ダイナカーペンターは勝ったり負けたりを繰り返し、引退後種牡馬として産駒を残せたものの、良績はあげられなかったようです。
今でもお馴染みの「黄黒縦縞、袖青一本輪」は昔からあり、かつては「ダイナ」の冠号でした。
ダイナガリバー、ギャロップダイナといったG1馬ほどのインパクトは無くとも、重賞で1着同着という離れ業?を見せてくれたダイナカーペンター。心に残る1頭なのです
