遺言をする場合

遺言をする場合

判断能力が一時回復し

Amebaでブログを始めよう!

1989年平成元年、その子犬との出逢いは、母と妹と3人で行った東嵩川のショッピングセンターだった。
植木や花やプランターが売ってる屋外の店の片隅に、数匹の犬が売ってるコーナーがあった。
母が足を止め、あら可愛いわね。
家で飼おうか。
と言った。
オレは、思いがけない母の言葉に驚きながらも、子犬たちのそばにしゃがんだ。
茶白の子犬と黒い子犬がエサを食べていたが、母は、元気なほうがいいわねと、エサへの食いつきが良くて活発な茶白のほうを連れ帰る事にした。
家に帰り、まだお父さんには内緒ね。
という母の指示で、子犬を庭の裏の倉庫の中に入れた。
ところが、まだ小学校にも上がっていない幼い妹が、家に隣接する事務所で仕事をしていた父のところへ行き、お父さん、何でもないよ。
倉庫に何にもいないからね。
とわざわざ言いに行ったから、すぐにバレた。
父は犬が大好きだから喜び、武蔵ムサシと名付けた。
柴犬系の雑種で、力強く元気に育ってほしいという意味をこめて、伝説の剣豪、宮本武蔵にあやかって付けたのだろう。
休日に、父と一緒に犬小屋を作った。
と言ってもオレは、器用な父が日曜大工で犬小屋を作る様子を、ただ近くで見ていただけだった。
ムサシ、もうすぐオマエの家ができるぞ子犬のムサシは嬉しそうにコロコロと走り回っていた。
やがて犬小屋が完成した。
外装は鮮やかな緑色で、屋根は赤く塗られたオシャレな犬小屋だった。
オレは朝早くにムサシを連れて散歩に出かけ、近所の野原で自由に放した。
朝陽の光に照らされて草の中を跳ね回る子犬だったムサシの姿を、今でも鮮明に思い出す。
ムサシと呼ぶと飛ぶようにオレのほうに駆けてきて、オレの胸に飛び込む寸前にサッと横に飛び、また野原を走り回る姿が、たまらなく可愛かった。
ムサシは成犬になってからも自然が好きで、散歩中に雑木林や草むらを好んで歩き、茂みに身体を擦り付けて喜んだ。
冬に雪が降ると、雪の上を嬉しそうに走り回った。
性格も優しく、猫が目の前を通りすぎても、小鳥がドッグフードをついばんレズでも、尻尾を振って優しい眼で見守っていた。
そしてオレたち家族に対しては、ワオワオと話しかけるような鳴き方をして、まるで人間の言葉がわかるかのようだった。
朝、夜、暇がある時には散歩に行った。
決まったコースがいくつかあって、長い時には1時間半以上かけて回った。
オレが短い時間で済ませて家のほうへ戻ろうとすると、ムサシはそれを察して途中で立ち止まって足を踏ん張ってオレを見上げ、もっと散歩しようよとでもいうような顔で尻尾を振った。
その姿に根負けして散歩を再開し、ずいぶん遠回りした事も懐かしく思い出される。
数年後、家では、動物保護センターから譲り受けたシベリアンハスキーのラブリーを飼い始め、さらに、妹が親にねだって買ったウェルシュコーギーのポッキーも加わって、家族が増えた。
さらに当時は家の中でネコのトラも飼い始めていた。
約20年前の事だから、詳しくは覚えていない。
ただ、家族が増えた中で、家族にとってムサシの占める割合が相対的に下がってしまったのは確かだった。
もちろんムサシには愛情を注いでいたが、新しく来た他の犬猫も可愛がるオレたちを見て、きっと寂しかっただろうな、と今では思う。
犬が3匹になってからは、時々は弟と二人で3匹全部連れて散歩に出かけた。
散歩のマナーなどちゃんと躾をしていなかったから、みんな我先に早く行こうとして競ってリードを引っ張り、自分で引っ張ったリードで首輪が締まってみんなでハアハア息を切らしながら散歩してた。
しかし、3匹一緒の日々は長くは続かなかった。
1999年平成11年、シベリアンハスキーの女の子ラブリーが突然、原因不明の病気でこの世を去った。
その数年後、急遽、長年住んでいた実家から家族が出て行かなければならない事情があって、車で約1時間程の、横浜市南部の舞岡に引っ越した。
オレはその頃には大学生で一人暮らしを始め、池袋でネコのトラ今年の夏に息を引き取ったこのトラについては、近々日記を書くので、ネコ好きな人は是非読んでくださいと暮らしていた。
だからムサシと会う機会は、たまに実家に帰った時だけだった。
そんなある日、実家から連絡が来た。
ムサシがいなくなった。
父によると、その日の朝、エサをやりに行ったら姿が見えなくなっていたという。
すでに高齢だったムサシが、どんな思いで家出したのかショックだった。
近くには交通量の多い道路もある。
交通事故、保健所暗い想像ばかりが頭に浮かんだ。
もう二度と会えないのかと諦めかけた約1週間後、実家から、ムサシが見つかったという連絡が来た。
朝起きて玄関を開けると、ムサシが帰ってきていたという。
身体は汚れ、憔悴していたそうだが、オレはムサシが自分の意志で自力で帰って来てくれた事に感動した。
しかし、それから数ヶ月もしないうちに、その日が訪れた。
2004年平成16年3月17日。
午後2時頃、弟からメールが入った。
ムサシが吐血した。
いま病院にいる。
オレはその時、北綾瀬の公園で、当時2年近く付き合っていた彼女を待っていた。
彼女に新しい男ができた気配があり、その日オレは彼女と会って話し合い、事実をはっきりさせようと考えていた。
別れるとしたら、2年付き合った関係だから、かなり重い覚悟になる。
オレは別れたくなかったが、ただ真実を知ってけじめをつけたい、と思っていた。
オレは迷った。
いますぐ病院に駆けつけるべきか、ムサシの回復を信じて、今は彼女との決着を優先すべきか。
病院までは電車を乗り継いで2時間かかる。
弟からの連絡では昼前に血を吐いて倒れた。
昨日までは元気だったし、急に死ぬとも思えない。
これから手術。
との事だった。
このまま病院に向かうか、彼女に会うか、いまどちらを選択すべきなのか、オレは天を仰いだ。
決断を下す前に、彼女が来た。
とりあえず今の状況を伝えるべく、オレは実家の犬が倒れ、緊急手術を受ける事になったと告げた。
しかし彼女の反応は、それがどうしたと言わんばかりの、素っ気ないものだった。
オレは焦燥感と苛立ちに駆られながらも、なるべく冷静に、彼女と話をした。
結果は、最悪だった。
彼女にはもう新しい相手がいた。
しかも携帯電話にはもうその男とのプリクラが貼ってあった。
まだ正式に付き合ってはいないよ。
恋人らしい事はしてないし。
と平然と言ってのける彼女に、怒りがこみあげた。
今思えば、その時のオレは、頭が混乱してどうかしていたんだと思う。
オレはいきなり彼女の携帯電話を取り上げ、傍らの草むらに投げつけた。
彼女は走り寄って携帯電話を拾いあげ、そして大事なストラップが割れちゃった。
と泣きそうな表情でオレに抗議した。
オレの中では、まだきちんと別れてもいないのに新しい男がいたという事へのショックと怒りが渦巻き、そして、血を吐いたというムサシの映像も、脳裏を掠めた。
こんな時に、ストラップだと、オレは、話し合いよりストラップが大切かのような彼女の態度に激高し、次の瞬間、抗議を続ける彼女の手を払いのけ、突き飛ばしていた。
彼女はよろめいて植え込みに倒れこみ、しかしすぐに起きあがって走り出した。
オレは、ハッと我に返った。
殴ったわけではないが、突き飛ばしたのは暴力だ。
なんてことをしたんだろう、すぐに謝らなければならない。
自転車に跨がって走り去る彼女を、オレは走って追いかけた。
北綾瀬の環七沿いを、彼女を追いかけて懸命に走ったが、自転車のスピードに敵うはずもなく、彼女の姿は遠ざかり、やがて見えなくなった。
その日は、春先の埃っぽい南風が強く吹き荒れていた。
オレの心も荒んでいたからか、風景は灰色に煙って見えた。
オレは力無い足取りで歩いた。
飯塚橋を越えて金町まで歩き、辺りが夕闇に包まれ始めた頃、父から電話が来た。
ムサシが死んだ。
手術中に容体が急変し、心臓マッサージも効果無く、手術台の上で息を引き取ったという。
オレは呆然と立ち尽くした。
ムサシが、死んでしまった。
父と弟と共に病院に着くと、まだ若い女性獣医が無言で頭を下げた。
薄暗い霊安室に、ムサシが横たわっていた。
オレは、冷たく硬くなったその身体を撫でながら、ムサシ。
と一言だけ声を絞りだすのが精一杯だった。
人間で言えば90歳近い高齢だったから、寿命だったのだろう。
しかし、そんな形で急に死んでしまうとは思っていなかった。
もっといっぱい遊んであげれば良かった、一人暮らししてからももっと頻繁に実家に帰って散歩に行ってやるべきだった、そして血を吐いたと連絡を受けた瞬間になぜ電車に飛び乗って駆けつけなかったのかもう取り返しのつかない様々な後悔が、後から後からとめどなく押し寄せてきて、オレの胸を塞いだ。
翌日、夕焼けが綺麗な空をふと見上げた時、ムサシの魂はこの空の彼方のどこかで、大好きだった草むらに顔を突っ込んだり走り回ったりしてるんだろうな、と感じた。
数ヶ月後、その日オレは、ボランティアで通っていた学校今の勤務先に向かうタクシーの中にいた。
時間に追われて急いでいて、オレはひどく苛ついていた。
その時、タクシーのラジオから歌が流れてきた。
後で知った事だが、それは秋川雅史の千の風になってだった。
タクシーのラジオから流れたその歌を初めて聞いた瞬間、オレの脳裏にムサシが思い浮かんだ。
自然が大好きで人にも動物にも優しかった純粋なムサシの魂は、千の風になって、千の風になってあの大きな空を吹きわたっている、と。
さらに時は流れ、2007年平成19年9月12日の夜、弟からポッキーが危ないとの連絡が来た。
数日前からエサをほとんど口にしなくなっていたとは聞いていた。
偶然近くにいたオレは電車に飛び乗って駆けつけた。
しかし、わずかな差で間に合わなかった。
ポッキーは肝臓の重い病気を患い、最後の数ヶ月間は医者が往診で来ていた。
父や弟によると、最後の日は、普段は寝てる事の多かったポッキーがずっと起きていて、事務所で仕事している父と弟の様子を目で追っていたという。
夜、ポッキーがまるで呼ぶかのように鳴き、父と弟が駆けつけると、すでに呼吸が不安定になり始めていた。
最期を悟っ父がポッキーの身体を抱きかかえ、今までよくがんばったな。
もう、いいぞ。
と声をかけると、父の腕の中で一声鳴いて息を引き取ったそうだ。
ポッキーは、エサを食べている時に近づくと唸ったり、我が家の先輩犬にも吠えるなど気が強い犬だった。
しかし、自分の鼻先で転がしたボールを追いかけるのが大好きで、オレにもボール転がしをよくねだった。
もっと遊んでやればよかったな。
今年8月24日に、20年も生きた愛猫のトラが亡くなり、これで、ラブリー、ムサシ、ポッキー、オレが子どもの頃から家にいた古参のペットたちは皆、逝ってしまった。
思い出を整理したくてこの日記も書きはじめたが、ムサシやポッキーの写真が数枚しか残っていない。
何度か引っ越しているうちに、押し入れの奥に埋もれてしまった。
子犬の時の写真もあるはずなので、早く見つけたい。
今は亡きペットとの日々を振り返る事は、そのまま家族の歴史を紐解き、そして自分自身の人生史を辿る事でもある。
そしてあらためて、ペットの存在がいかに大きかったかを実感し、ただひたすらありがとう、という感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
記憶にとどめ、記録に残す為に書いているが、この長い日記を読んでくださった方、どうもありがとう。
写真は、昔の実家の庭先で。
10歳くらいの時のムサシ、ポッキー