ジェンダーに固執して生きるのか | 日はまた昇る

日はまた昇る

考え、思いなどをテキトーに綴ってます。

性別の捉え方というか

ジェンダーに固執されないような生き方を選んでるのは(身体的以外の面で)

男も女も関係ないよっていう態度とか言動を求めてるのかもしれない。
無論、意識外のところで。

男らしい男(それもジェンダーに構築された架空のものだけど)
を追求したいなら追求すればいい、

そしたら自分自身の態度も言動も見せ方も

今とは全く違うものになるだろう。


強く見せたりそういう態度取るのは、

結局敵を作りたくないという思いからの

最弱の防御だと思う。

そういう自分に気付く度に

どれだけ自分が弱い人間なのかを思い知ることになる。


難しいことなんか考えずに

フツーに生きて
フツーに笑って
フツーの人生を楽しめばいい。

それがどれだけ幸せなことかは
フツーの人間にはわからない。

すぐそばの誰かがどれだけの悩みを持ってたとしても、

すぐそばの誰かは他人、
ほとんど気付くことはない。


生きるってそういうこと。

見えない痛みは無いものにされるだけ。

みんなに優しい人間なんていないんだよ
人の痛みがわかる人間なんてものもいない。


Android携帯からの投稿