このブログはFeel the FujiのWEBサイトのコンテンツの一環として始める訳だが、現在連載(といってもかなり自堕落な、無責任ペース)するのは5人。それぞれに適当に書き連ねていくのだが、一応テーマというか中心に据えるものがある。

で、このブログでは、一言で言って「こむずかしいこと」をやろうとおもっている。こむずかしいことは、小がついてはいるが難しい。かといって難しいを解らない、嫌い、ダメと関連づけてはいけない。難しい話をなんとか理解して、なんとなく偉くなってみるのもいいことだ。(実際はそんな適当ないい加減な理由でこむずかしいことを考えてる人はいないと思うが。)


哲学に関することを、さらさらーっと並べ立てて、それでもわかりにくけば、もう少し具体的なたとえ話なんかして。で、もうそんなことしても、なにをしてもわかんねぇ!ってばあいは、ぽかーんとなにかが残る位でまあいいかというスタンスなので適当に読んでくれればいい。今日は哲学の哲の部分はおいといて、学のぶぶん。


学。学問だ。

私は結構こういう「うんちゃら学」にすぐ興味持つ方だ。でも一つのことを深く掘り下げていくと、いつかおもしろくない部分に突き当たって、そのうち飽きてしまう。でもそれでイイと思って、大体は次にいく。わすれたころにまた戻るみたいな。


で、いまのところ特に興味が有る物は。

歴史 物理 語学 数学 論理 民俗学 ナドナド。

苦手なのは、

化学 法学 電気 とか。


やあ、是をみてみると、なんとなく法則性があると感じる。物理や論理などは、ある規則に従って物事をとらえようとするものだし、歴史や民俗学、語学などは、人間くさく感じるが、実は行動学や社会学などの規則性にも関係していて、実は極めて規則学的なところがあるのだとおもう。

かたや化学や電気。これも法則、規則じゃないか!というかもしれないが、なんとなく私のなかでは、「こう!だからこう!」みたいに、無条件に決めつけられているだけで予測不可能な感じがするだ(笑)。目に見えないからそう思ってしまうのでだろう。H2Oとか、みえないじゃん!みたいな。法律や、経済もそう。誰かが誰かの「思惑」や「思想」によって決めた尺度を、ただ単に守ったり、歩かされたりしているだけのような気がしてしまうのだ。


学問とはいくつかのパターンに分けることができる。その技術や知識が、現在もしくは未来に発生する問題の解決に役だっり新しいものを作るのに利用されたりする学問もあれば、過去の出来事や思想、思考、心理などを調査・研究して、理解し、それを別の場面でも役立てようとする学問もある。訓練や勉強という言葉とあいまいな部分もあるが。



実は「哲学」とは、「実際に何かに役だったりすることがない学問」といわれることがある。

物事全体に関わる、原理原則を見いだし、絶対法則を見つけようという学問ではあるが、その議論自体に明確な答えがない以上、利用することもできない。議論することが「哲学」の本質だからだ。見方によっては、結局「人間」が納得したいだけの「幻」なのかもしれない。


しかし、その幻が、まさに哲学でいうところの、「主観」や「自我」をつくっているのだし、そんな人間があつまって、この世界をつくっているのだ。