TODAY'S
 
ありがとうの魔法

 

毎朝出勤すると、会社では朝礼を行います。

朝礼のなかでは「ありがとうの言葉」というお題目があり、指名された人は何かに対し感謝を伝えるものです。

 

大人になると感謝を伝える場というのがほとんど無いように思います。

普段言えない言葉をその場にいる人に伝えるようなことがあると、伝えた相手にはその日気持ちよく仕事ができるかもしれません。

そうして言葉に出して「ありがとう」が言える環境があるということこそ「ありがとう」と言うべきことなのかもしれません。

 

今回の本の筆者である小林正観氏は、2011年10月に62歳という若さで逝去された作家であり、学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、長きにわたり心学などの研究を行ってきたという人物です。

 

小林氏が40年にわたって研究を続けてきた結果、「幸せ」についてわかったことがあるのだと記しています。

 

「今、足りないものを探して、手に入れること」ではなくて、「自分がすでにいただいているものに感謝し、自分が恵まれていることに気がつき、嬉しい、楽しい、幸せ…、と生きていることが幸せにつながっており、幸せを実感するために実践することは「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」を淡々とやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)ことといいます。

「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないこと。

すると、神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて、「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。
これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」だ、といいます。

 

 

  1日中、汗をかいて仕事をすれば、「冷たい水の一杯」でも幸せとなる

茶碗は誰が見ても茶碗ですし、お皿は誰が見てもお皿です。

しかし、同じことは「幸せ」については言えません。

Aさんにとっては「幸せ」な出来事だったとしても、BさんやCさんにとっては「幸せではない」可能性もあります。

そして40年間にわたり研究を続けてきた小林氏の結論は、「『幸せ』という名の絶対的な名称を持つ現象は、地球上に存在しない」というものなのだそうです。

にもかかわらず、なぜ「幸せ」という言葉が存在しているのでしょうか? 

 

この問いに対して筆者は、「それは、『幸せ』という現象が存在しているからです」と記しています。

「幸せという名の現象は存在しない」という言葉に対し矛盾した気もしますが、

つまり「幸せ」という現象は、個人にのみ帰属するものであり、他人が口をはさんだり、意見を言うべきものではないといいます。

「幸せ」は、「幸せを感じた人にのみ存在する」と言う構造になっているということです。

 

たとえば1日中汗をかいて仕事をした人が、冷たい水をひと口飲んで、「あー、幸せ」と思ったとしたら、その人にとってのみ、「幸せ」が帰属しています。

当然、のどが乾いていない人にとって、それは「幸せ」ではないでしょう。

1日中汗をかいて仕事をしていたからこそ、冷たい水のひと口に「幸せ」を感じたというわけです。

「幸せ」を感じようと思えば、100や200の幸せが身のまわりにあることに気づくと筆者はいいます。

なにごとも自分が「幸せ」だと思えば、すべてが「幸せ」になるはずです。

目の前の現象についてなにも感じなければ、ただ通り過ぎるだけの現象にすぎません。

しかし、その現象を「幸せ」だと感じたら、その瞬間に幸せになるという考え方、「幸せ」が見つからないと嘆いている人は、「幸せ」を感じる心を動かしていないだけかもしれないというのです。

 

「ありがとう」という感謝の気持ちは、幸せな感情から生まれるものだと思います。

特別なことではなく、日々の何気なく過ごしていることに感謝する気持ちが必要に感じました。