実家に帰ってきて、早一週間。
一度実家を離れたからか、
なぜか食事で会話に花が咲きます。
はい。アルコール入ってしまっていますけどね…
これが数週間前だと、しーんと、黙々と食べてました…
僕には、弟が2人いますが、一緒に飲んだりするのは滅多になかったし。
親と話しをするのも何か用事があったときくらいでした。
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「あたりまえ」昨日のブログに書きましたが、どんどんここへ向かってしまうのかな。
何か、「あたりまえ」って言葉が悪者みたいですね…
今日それで気がつきました。
人は、「慣れ」という能力を持っていますよね。
人は慣れることで、仕事が早くなったり
人は慣れることで、気楽になれるたり
人は慣れることで、更に新しい能力を持てたり
人は慣れることで、無意識にできるようになったり
人は慣れることで、「あたりまえ」にできるようになる
「あたりまえ」になるからこそ、能力をのばすことができるようになる。
うん。僕は「あたりまえ」って悪くないと思う。
できればしたくないのが、慣れからくる「無関心」を「あたりまえ」にしてしまうこと
愛の反対は無関心とききますが・・・
僕は知らず知らずの間に、家族に無関心な部分を出しているのだと思う。
母が洗濯をしているのを見ても何も思わない
弟が不機嫌そうなのを見ても何も思わない
妻が洗い物をしているのを見ても何も思わない
なんだかんだいって、生活のどこかで「無関心」をしている。
だから、だんだん「無関心」に慣れていく。
そのうち「無関心」が「あたりまえ」になってしまう。
賢い人間の悲しい習性ですね。でも・・・
これに気付くことができたなら、あとは行動するだけ。
家族に対して関心をもって、心配りをすれば良いですね。
僕は、「無関心」な部分を少しづつ気付いていきたいと思います。
「無関心」な部分を少しづつ、「気付く」ことに慣れれば、
「無関心」を減らすことが「あたりまえ」になります。
そしたら、家族に『関心を持つことがあたりまえ』になるはずですね。
賢い人間のうれしい習性ですね。
心の根っこが少し大きくなったともいます。
