自分軸を持つ、自分を知る、自分を大切にする、というような。

 

それって大切だなぁと最近になってく思い知ったのです。

 

私はこれまで他者基準に立とうとしすぎていた。無理があった。

 

より広く深く他者の心情に寄り添えるようになりたい一心だったが、

 

いつの間にか心理学者か名探偵気取りに向かっていないかと違和感を覚えた。

 

自分は一体どのような境地に到達したいのか全然見据えられなかったもやもや

 

他人の気持ちを100%理解することなど不可能だと頭では分かっているつもりでも、

 

できるだけ、できるならば、99,9・・・%くらいにまで近付きたいと思っていた。

 

(無謀が過ぎる当時の自分が今となってやや恥ずかしい。)

 

そんな心構えで日々あらゆる場面でのコミュニケーションに臨んでいた。

 

「この人はどういう人だろう」「そんな発言をしたということは・・・」などと

 

相手を自分なりに推し量っていた。限りある自分の見解の中でガーン

 

思い上がりも良いところだ。私一人の人間に知らないことは多すぎる世界だ。

 

今なら言える。そんな人を見るは手放そうと。

 

そんなこと出来ない、出来なくていいのだと。OK

 

自分自身のことすら100%理解できていると言い切れない人間だ。

 

いつだって自分がこの自分を自分として生きてきたのに、だ。

 

逆に自分自身を分かったように分析、評価されるのもあまり愉快ではないだろう。

 

そもそも言葉は心情を100%表現できるだろうか。

 

私の気持ちは100%正しく説明、証明できるほどはっきりしたものではない。

 

心は心で感じるまでではないかハート

 

他人は自分とは違う環境、経験、個体を持っている。一部関わっても全部は知れぬ。

 

傾向と対策を探ったり、そんなことしなくても心が通ったり。時と共に移ろいだり。

 

色々な人がいること。色々な時があること。当たり前のように聞こえることだけど、

 

今一度自分自身の凝り固まった世界観をほぐして改めて心に留めておきたい。

 

まずは自分を見るにもっと集中しよう。

 

自分自身に対する真の思いやりとは何か。

 

自分に優しくできたら余裕が生まれ、その分また他者にも優しくできるのでは・・・?

 

みんながみんな自分自身に優しくなればなるほど、

 

ますます優しさに溢れた世界になっていく気がする地球(と今はそう思う。)

 

私にできることは私をせにすることだ。