襖の外が大分騒がしくなってきた。午後9時を過ぎた頃である。
森山は地酒を口に含んでから答えた。
「そうですね。確かにシステムの方が家よりは難しいかもしれません。ただシステムにも基本となるデザインがあります。」
「ちょっと説明臭くなりますが、聞いていただけますか?」
「是非、お聞きしたいです。」
「私論というより、当たり前のことを私なりに整理したのですが・・・。私どもM社ではコンサルティングを実施する際には、まずクライアントのビジネスモデルを理解することから始めます。」
「ビジネスモデルと言っても抽象的ですので、我々はビジネスモデルを次の3つの要素に分解して考えます。「マーケティング戦略」・「ビジネススキーム」・「ビジネスシステム」の3つです。」
「マーケティング戦略を簡単に言うと『どういう顧客にどういう製品を提供して対価を得るか』。です。主として収益構造・競争戦略のベースとなります。」
「ビジネススキームは、マーケティング戦略実現のための枠組みです。『仕入はどこから、製造はどこで、販売はどうやってというように、「登場人物」と「担当ファンクション」を明らかにし、それらの間の「物流」・「商流」・「情報流」を明確化します。マーケティング戦略をビジネススキームに含める場合もあるようですが、我々は分けて考えます。それはマーケティング戦略の方が上位の概念だからです。」
「飲みながらご説明する内容ではないかもしれませんが、もう少しお付き合いください。」
「3つ目のビジネスシステムですが、マーケティング戦略の分析・管理、ビジネススキームのフロー・ストックを管理するためのシステムです。」
池田は、森山の話を聞いて当たり前のアプローチのように思った。
ただ、そう思えるのは池田がT社事業計画策定の時に同じアプローチをとったためであり、本人はそのことに気づいていない。
森山は池田の気持ちを察したのか、池田をじっと見て言った。
「現実には、概算見積をする際に、このアプローチができていない開発業者が多いのです。」「このアプローチをとらずにユーザニーズやRFPのみから概算見積を作成するため、確定見積と大きな差が出てしまうのです。」
「ユーザ側は基本要件を網羅的に定義するわけではありません。開発側はビジネスモデルを確認することにより、隠れている基本要件を引き出す責任があり、その能力を持っている必要があると私は思います。」
確かにユーザ側が基本要件を網羅的に定義するのは難しいと池田も思う。
「抽象的で分かりにくいので、貴社を例にとって話をします。もちろん私は貴社のビジネスモデルを充分把握していないので的外れのことを言うかもしれませんが、あくまでも例示ということで聞いてください。」
「まずマーケティング戦略ですが、貴社は汎用品と特注品を最終製品製造会社に販売して収益を得ていますね。」
「ここでは、汎用品、特注品それぞれの原価計算が必要です。過去に開発を担当されたA社に原価計算の経験がないと、基本要件から個別原価計算の導入を落としてしまうか、基本要件に入れても見積の精度がかなり低くなるでしょう。」
前回のシステム導入時点では特注品の製造は始まったばかりで、T社では個別原価計算制度がまだ確立していなかった。そのため、ユーザニーズに個別原価計算システム導入は含まれていなかった。
「更に、特注品の導入により製品種類ごとの利益管理は当然ですが、顧客別の売上・粗利管理、場合によっては営業利益の管理が重要になります。どこまでを基本要件とするかどうか、A社は確認すべきでしょう。」
「森山さん、顧客別の粗利管理までは分かりますが、営業利益までは難しいのではないですか?」
「失礼します。」
その声のあとに襖が開き「すみません。お料理の方がラストオーダですが。」と店員が言った。
「いや結構です。」
「結構良い時間になってきましたね。残念ですが、もう一杯ずつ飲んだらお開きにしましょう。」と池田が目で森山と相澤に同意を求めて言った。
「さて、営業利益ですが、ABMの考え方を応用すれば可能です。ただ時間もないのでその方法については、別途お話させてください。」
「話は変わりますが、池田さん、貴社は外注加工先と取引されていますが部品支給は『有償支給』ですか『無償支給』ですか?」
「両方あります。」
「どちらの方法をとるか、または両方とるかによって見積は大きく変わってきますね。」
「また、貴社は工場を確か神奈川と埼玉の2か所に持たれていますね。それぞれの工場で同じ部品を使用していますか?」
「はい、確か重複しているものがあります。」
「もし共通部品を両工場まとめて発注する場合には、各工場のMRPで算定された発注数をまとめる機能が必要です。また在庫も複数工場にまたがって管理する必要があるかもしれません。」
「失礼します。」今度は男性の声で飲み物のオーダーストップが掛かった。
「話足りないですが、今日のところはこの辺にしませんか?」
森山の言葉に池田はうなずいた。
「概算見積の精度を上げるためには、初めにジネスモデルを網羅的に把握する、次にビジネスシステムの機能選択肢を明確化しユーザに確認するという手順が必要です。これを短期間で実施するためには、開発業者・担当SEが同業種・同業態の経験・ノウハウを持っていることが必須です。」
「なんとなく分かったような気がします。森山さん、今回はご指導をよろしくお願いします。」
池田の言葉を合図に3人は席を立った。
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森山は三軒茶屋の行きつけのバーカウンターでお気に入りのバーボン&ソーダを飲んでいた。
彼は20年近くシステム業界にいた。その間にPCの進化、ネットワーク技術の革新、パッケージソフトの高度化、クラウド化の進展等の急速な変遷があった。
しかし彼が一番懸念している変化はそれらではなかった。
彼の一番の懸念は、いつの頃からかクライアントのビジネスを理解して適切な提案ができるSEが少なくなったことにある。近年、Sierによるコンサルティング会社の買収や資本提携の動きがあるが、彼はコンサルティングと開発は独立した関係にあるべきだと考えている。
「これからのシステム業界はどうなっていくのだろうか。」
森山は思わずつぶやいた。
第5章 完 高石 貢(著)
第6章 -企業にとってのシステムとは- 3月21日頃 アップの予定です。