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全ての意識の出発点は「瞬間の自覚」である。これは存在している自己であれば誰でも(無自覚的に)自覚しているものである。「我々は、色々物事を考える以前にもうすでにこの世に事実として存在している」という当たり前すぎる事実が意識の出発点なのである。

この当たり前の事実を自覚することは、実は(一般市民にとっては)なかなか難しい。一般市民にとってはこの瞬間瞬間の存在している事実は「過去」「未来」「夢」「遠い世界の出来事」などによって覆い隠されているからである。


この「瞬間の事実」から分断の断絶線(対立)が引かれたときに、その瞬間から自己が離れてしまう。

断絶とはすなわち「今」と「過去未来」に対する断絶、「ここ」と「遠い世界」とに対する断絶、「自己」と「他者」との断絶である。もっと分かりやすくいうと、赤色と青色という対立が意識に上ってきて初めて「色」が存在することになる。生まれて死ぬまで「赤色」しか見ていない人が「色」そのものを認識するとは考えにくい。我々は死ぬから「生」を認識できるのであって、皆が不老不死で誰も死なない場合、「生」を認識するとは(事実として生きているとしても)考えにくい。


こんな一見どうでもいいような例えを出したが、実はこの例えがとても重要である。すなわち、

「意識が何かを認識するということは、それは瞬間に断絶線を引くこと」だからである。

要は何も断絶線を引いていない瞬間こそ、その「瞬間の自覚」であり、瞬間に沢山のの断絶線を引くことで一般市民は色々な物事を認識しているのである。


ここで、もっとも重要視すべき断絶は「自己」と「他者」という断絶である。瞬間瞬間においては実は自己も他者もない。事実として瞬間瞬間が流れているのみだからである。


さて、この自己と他者との断絶が起きたときに、次に重要なのが「身内」と「赤の他人」という断絶である。

身内はまさに親、兄弟、親戚、または広い意味で同僚、同級生、、といった類である。

その逆に「赤の他人」とは、まさに「名前」も「所属」も「住所」も知らない他者である。

この分類はとても重要である。実は(とても逆説的ではあるが)自己の生死はその「赤の他人」から「信用」が得られるか否かにかかっているのである。身内との信用はもちろんとても大事だが、それは赤の他人との信用と比べると「お遊び」のレベルである。


そしてその赤の他人からの信用こそ「お金」に他ならない。

それぞれの業界団体はその「赤の他人からの信用」を恒常的に得るために、様々な概念を洗練化する。

例えば、「宇宙の果て」は物理学業界によって洗練化されている概念である。

「深層心理」は心理学業界、精神医学業界によって洗練化されている概念である。

「神」は(有神論的な)宗教業界によって洗練化されている概念である。


このようにして様々な概念は、赤の他人から絶大な信用を得るという目的のもと、様々な業界団体によって洗練化されている。