凍てつくような寒さが和らぐと、それまで身を縮こまらせて歩いていた人々の背筋はピンと伸び、足取りも軽やかになった。時折強く吹く風はまだまだ冷たいが、ショーウィンドーには春色があふれている。
ミニョは雲間から降り注ぐ暖かな陽射しににっこりと微笑んだ。
「何だか今日はいいことがありそう」
少しずつ移っていく季節を感じながらそう口にしたが・・・
数時間後、今の言葉とは全く逆のことが起こるとは、この時のミニョには微塵も想像できなかった。
「ミニョ、今日からしばらくの間、修道院に泊まってくれ」
仕事から帰ってきたテギョンは玄関のドアを開けると開口一番そう言った。
「どうしたんですか、急に」
そしてミニョの方を見ることも、問いに答えることもなく、クローゼットの扉を開けた。
「もしかして泊まりのロケで、私が夜一人になっちゃうからですか?」
スーツケースに服を何着か入れているテギョンを見てミニョはそう聞いたが、よく見ると服はテギョンのではなくミニョのもの。
「いいや、俺はここにいる」
「だったら急にどうして・・・」
「独りになりたいんだ」
「お仕事ですか?だったら私、絶対に邪魔しないように静かにしてます」
今までにも曲作りがうまくいかないと、部屋にこもったまま出てこないことがあった。今回もそれなのかと思ったが、どうも様子がおかしい。いらついているのか少し乱暴に服を詰め込み、バタンと大きな音を立て閉めた。
「ここにいて欲しくないと言ってるんだ!」
ピシャリと言われたミニョはその語尾の強さにビクリと身体を震わせた。
朝、出かける時のテギョンは普通だった。少し咳をしていたので心配すると、「大丈夫だ」と笑っていたのに。なぜか今はミニョの方を見ようともせず、不機嫌そうに眉間にしわを寄せている。
「下にタクシーを待たせてある。行き先は伝えてあるから」
「あ、あの、ちょっと」
テギョンはスーツケースをミニョに押しつけると、今すぐ出て行ってくれと背中を押した。
理由も判らず追い出されてしまったミニョは玄関のドアを叩いた。
「急にどうしたんですか、オッパ、開けてください」
ドンドンという音だけがマンションの廊下に響き渡る。しかしドアはテギョンの言葉と同様、冷たくミニョを拒んでいた。
「私、オッパを怒らせるようなこと、したのかな・・・」
タクシーの中でミニョは外の景色をぼんやりと眺めながら、ため息をついた。
同棲してもうすぐ半年。時々口喧嘩をすることはあったが、こんな風に家を追い出されたのは初めてだった。しかも今日は喧嘩ではなく、それこそ何の前触れもなくいきなりだったから、余計にわけが判らない。思い当たることが何もないミニョは、ただ頭を悩ませることしかできなかった。
「ゆっくりしていきなさい」
修道院へ着くと、ミニョの顔を見た院長様は両手を大きく広げ、優しく微笑んだ。
「私、自分が何をしたのか全然判らなくて・・・だからどうしたらいいのかも判らないんです」
ミニョは沈んだ顔で院長様の胸に頭を預けた。
きっと自分では気づいていないだけで、テギョンの気に障ることをしたに違いない。そうとしか思えないテギョンの態度。でもそれが何か判らなければ意味がない。
『ここにいて欲しくないと言ってるんだ』
冷たく言い放たれた言葉が鋭い刃物のように今でも胸に突き刺さっていて、心の痛みは増すばかり。
ミニョは溢れそうになる涙をこらえようと下唇を噛むと、布団を頭からすっぽりとかぶった。
眠れないまま夜が明けた。
「オッパ、しばらくの間ってどれくらいですか?」
マンションを出て実際にはまだ半日ほどしか経っていないのに、ずいぶん長い間会っていないような気がしてくる。
なぜ追い出されたのか・・・
判らないと思いつつも本当は、”もしかしたら・・・”と、心に引っかかることが一つだけあった。でもそれはミニョにとってはどうしても否定したいことだったし、考えたくもないこと。
ひと月ほど前、テギョンがモデルと交際しているという記事が週刊誌に載った。夜の街を腕を組んで歩いている写真とともに。撮影の後、相手のモデルがふざけて腕を絡めてきたのを偶然撮られただけだとテギョンは否定したが、ふとそのことを思い出した。ここにいて欲しくないのは彼女を呼ぶため・・・そんな風に考えてしまう。違う、そんなことはない、そう思いたくても、テギョンが自分とつき合ってくれていることが奇跡のように感じているミニョの心は、どうしても暗く沈んでしまう。
いつもは帰ると「ただいま」と言って真っ先に抱きしめてくれるのに、昨日は目を合わせるどころか顔も向けてくれなかった。
「私、嫌われちゃったのかな・・・」
考えれば考えるほど不安で、どんどん落ちこんでいき、このままでは底なし沼に沈んでしまいそうになる心を、ミニョはぐっと顔を上げることで何とか持ちこたえた。
帰ろう。このままここにいても、嫌なことばかり考えてしまう。
ミニョはタクシーに乗った。
家の前で、どうして帰ってきたんだと渋い顔をするテギョンを思い浮かべ躊躇したが、思い切って玄関のドアを開けた。幸いにもドアを開けた瞬間に冷たい言葉が降ってくることはなかったが、リビングにもキッチンにもバスルームにも、テギョンの姿はない。
「もしかしてまだ寝てるのかな」
もう昼はとっくに過ぎている。普段のテギョンならオフの日でもそんな時間まで寝てることはない。もっとも、ミニョとまったりしている時は、夕方まで寝室で過ごすこともあったが・・・
ミニョは音をたてないように注意しながら少しだけ寝室のドアを開けた。
「そんなに何度も確認するな、あいつはいない」
途端に耳に飛び込んできたのはテギョンの話し声。
「しばらくは帰るなと言ってあるから大丈夫だ」
誰かといるの?
嫌な予感に不安を募らせながら、ミニョはもう少しだけ隙間を開け、中の様子を窺った。
部屋の中にはテギョン一人だけ。ベッドに座り、誰かと電話で話しているようだが、ドアに背を向けているせいか、ミニョが覗いていることに気づいていないようだった。
「あいつは俺の言うことはちゃんと聞くからな。何なら今から確認しに来るか?・・・クックッ・・・それは焼きもちか?」
笑いを含んだテギョンの声。
最初は自分が何かテギョンの気に障ることをしたのかと思った。それならいい、理由さえ判ればテギョンに謝って許してもらえばいいんだから。でも次に頭に浮かんだのは別の女性の存在。それを裏付けるような今の会話。そして、ドアノブを握ったままこくんと息をのんだミニョの耳に、信じられない言葉が飛びこんできた。
「ああ、何度も言ってるだろ・・・愛してる・・・」
それは紛れもなく電話相手に向けられた言葉。
どこか少し相手をからかうようなさっきまでの声音とは打って変わって、真剣な声。
真っ白になったミニョの頭に一拍おいて浮かんだのは、週刊誌の写真だった。
髪の長いすらりとした細身の女性。テギョンにぴったりと寄り添い笑顔で腕を組んでいた。
オッパは否定してたのに、あれは本当だったの?
気がつくと身体が震えていた。それは悲しみからなのか怒りからなのか、ミニョにも判らなかった。ただ、真冬の雪原に突然放り出されたように身体が震えて止まらない。
本当は今すぐこの場から逃げたかった。このままここにいれば、またテギョンが自分ではない誰かに向ける愛の言葉を聞いてしまうかもしれない。そんなものは聞きたくない。
ここから黙って立ち去って修道院に戻れば、数日後には戻ってこれるだろう。何事もなかったかのように、テギョンは笑顔で抱きしめてくれるかもしれない。
でも・・・
ミニョは不安な気持ちを飲みこむと、ドアノブを掴んでいた手に力を込め勢いよくドアを開けた。
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お久しぶりです。
みなさま、お元気ですか?
テギョンもミニョも、頭の中ではごそごそと動いてたんですが、なかなか文章にできなくて・・・
書きかけて、途中で書けなくなって、違うお話を書いて、また途中で書けなくなって・・・というのが最近のパターンでした。
とりあえず、ひとつ完成したのでアップします。
久しぶりなんで、緊張しますね~
楽しんでいただけると嬉しいです o(^-^)o
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