勝ちとか負けとか、そんなものはどうでもいい。相手がシヌだからとかそういうことじゃない。問題なのは、ミニョの隣にいる男が俺じゃないということ。
しばらくミニョと”元恋人”という過去形の関係でいて、はっきり判ったことがある。それはその現状に俺が耐えられないということだ。
酒で満たしても女で紛らわせても俺の虚無感はなくならず、心は痛みを増していくばかり。胸に空いた大きな穴を埋めるのはやっぱりミニョじゃないとダメだ。
俺が心の底から欲しているのはミニョだけ。
やっと本心に辿り着いたのか、簡単なことなのにずいぶん時間がかかったなと、俺は鏡に映る自分の姿を見て自嘲気味に笑った。
フラれたのに未練がましいかも知れない。だがこのままでは終われない。ミニョが俺の前から去ったなら俺はそれを追いかければいい。俺の見えないところへ行ってしまったなら、俺が見えるところまで近づけばいい。他の男の方を見ているならもう1度振り向かせてやる。
邪魔なプライドを捨てさえすれば、何だってできる。
そう気づいた俺は、何をどうしたらいいのかと考えた結果、まず仕事の量を減らすことにした。音楽に専念したいからと、歌以外の仕事を極力断って。そうして空いた時間で、俺は田舎にある小さなカフェへ通うことにした。
街の喧騒から抜け出した車は徐々に緑の深くなる景色の中へと突き進んで行く。すれ違う車の数は減り、俺は窓を少しだけ開けた。心地いい風が頬を撫で、車内に新鮮な空気が流れ込む。ハンドルを握る手が汗ばんでいる事に気がつくと、俺は苦笑いし、手のひらに風を当てながら目的の場所へと向かった。
カランコロン・・・
色鮮やかなステンドグラスのドアを開けると、来客を告げるベルの音がした。
「いらっしゃいませ」
軽やかな音に反応して明るい声が出迎える。しかしその声の主は、客が俺だと判ると驚きを顔に浮かべ、歩き出した足をピタリと止めた。そして戸惑った表情を見せる。どうしてここに・・・というのがありありと見てとれる顔。
きっとこの間は今のミニョと同じ顔を俺がしてたんだろうなと思うと、逆転した状況に、俺の方が優位に立ったような気がしてフッと笑みが漏れる。
俺はミニョの疑問の顔に答えることなく、注文だけをした。
店の1番奥の角の席。
1番奥といっても小さな店だからカウンターからそれほど遠くない。この店の主らしい年をとった男がコーヒーを淹れているのがよく見えた。そしてその隣でそわそわうろうろしているミニョも。
俺がミニョに動揺を与えていると思うと何だか楽しかった。
ここは車の通りと同様、店に来る客も少ないようだ。俺の他には常連らしい中年の男が1人だけ。
カウンターの向こうから時折ミニョが気まずそうに俺の方をチラチラと見ているが、俺はそれに気づかないフリをし、夕陽に照らされた山が少しずつ色を変えていくのを眺めながら、熱いコーヒーを飲んだ。
陽が暮れ辺りが暗くなると、山の向こうから三日月が顔を覗かせているのが見えた。何だか久しぶりに月を見たような気がする。
撮影では無理な要求をされ、いい曲は書けず、最近また喉の調子が思わしくなかった俺は、月を眺める暇も精神的余裕もなかった。
夜の訪れに光を増していく細い月は、まるで闇に包まれた世界の中で輝きを放つ勇者の剣のようにも見えた。
ふいに頭の中にメロディーが浮かび、俺はそれを書きとめようと鞄から五線紙と鉛筆を取り出した。
ミニョに会いたくてここへ来て、でも結局声もかけられず外を眺め。
まさかこの状況で曲が書きたくなるとは思わなかった。
最近いいメロディーが思い浮かばず悩んでいたのがまるで嘘のように、指がスラスラと音符を並べていった。
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