お兄ちゃんの言ったことは正しかったと思う。確かに皆のことを憶えていない私に、いきなり ”恋人だ”ってシヌさんを目の前に連れてこられても、とうてい信じられなかっただろうし、かなり困惑したと思う。
お兄ちゃんが私をここに連れて来たのも、一緒に過ごすうちに思い出すかも知れないって思ったのかなって考えると、お兄ちゃんに感謝しないとね。
それにシヌさんも、急に恋人らしくなんて無理だろうから、今までと変わらずに接しようって。「まずは友達から」って少し茶化したように言ってくれて。
私のことを気遣ってくれてるんだなって、すごく嬉しかった。
ああ、でも思い返してみると、シヌさんって最初からすごく優しかったのよね。階段を下りるのを手伝ってくれたり、本を貸してくれたり。
その優しさの奥にある想いに少しも気づかなかったなんて、本当に私って鈍感よね・・・
あっ、でも私がシヌさんの恋人なら、このままここにいるのってちょっと問題じゃない?他の人達もいるんだし、やっぱりマズいわよね。
思い出せない記憶があるって判った時はかなり動揺したけど、精神的にもだいぶ落ち着いたし、子供たちの世話もちゃんとできそう。怪我もかなりよくなったし、これからのことを院長様に相談してみようかな・・・
アフリカから帰国した時、心配してるだろうからと院長様へあいさつに行ったきりだった修道院。
通院も今度が最後だろうから、そしたら一度修道院へ行ってみようかな・・・って思ってふと左腕を見た。
ニットの袖を捲ると現れる白い包帯。
『次に病院に行く時は俺が連れてってやる』
星を見た夜テギョンさんにそう言われた私は、既に予約してあった日にちを教えたんだけど、それが数日後に迫っている。
断ろうか・・・シヌさんのこともあるし。
でもわざわざスケジュールを空けてくれたことを思うと、申し訳なくてそれも言い出せない。
何も知らなかった私は、あの時ああ言われて少し嬉しかったことを思い出した。
そう、何も知らなかった私。
テギョンさんに恋人がいることも、私がシヌさんの恋人だったってことも。
もやもやとした頭。
ザワザワとする胸。
息が詰まって苦しくて。
込み上げる感情を無理矢理押し込めると、大きく息を吸った。
私がヘンに意識しなければいいだけのこと。テギョンさんには恋人がいるんだし、私に優しくしてくれるのはきっとお兄ちゃんの妹だから。
テギョンさんには恋人がいる。好きになってはいけない人。
私にはシヌさんがいる。私が好きになるべき人。
頭の中で何度も唱えて。
恋人なのに、好きになるべき人っていうのもヘンだけど、まだ今は好きっていう感情より、いい人っていう印象の方が強いから。
私はシヌさんが好き、シヌさんは私の恋人。
そう思っていれば、深く埋めた心の存在もきっとすぐに忘れられる筈・・・
「デートしよっか」
ちょっと時間が空いたからと合宿所へ戻ってきたシヌさんは、この間行けなかったアイスクリームのお店へ連れて行ってくれた。
冷たいアイスが口の中で溶ける。
「ミニョがアイスのCMに出たら、きっと売れるだろうな」
目の前で頬杖をつきながらシヌさんが微笑む。
「私ってそんなにおいしそうに食べてますか?」
食いしん坊だって思われたかなと少し恥ずかしくなった。
「いや、おいしそうっていうより、すごく・・・可愛い」
ニッコリと笑う顔に、スプーンを運んでいた手が止まった。冷たいアイスを食べてる筈なのに、顔が熱くなる。
「可愛い」なんて言われ慣れてない私は、どう反応したらいいのか判らず、顔を俯けた。
眼鏡をかけたり帽子を被ったりと、変装はしていても目立ってしまうシヌさんに、周りのお客さんの視線が集まる。
こんな素敵な人が私のことを好きでいてくれるなんて、今でも信じられない。
そう、シヌさんは私の恋人。
私もシヌさんのことが好き・・・だったはず。
憶えてないけど、好きだった、はず。
シヌさんが好き、シヌさんが好き、シヌさんが好き・・・
その頃の気持ちを早く思い出せるように、頭の中で繰り返す。
じゃないと・・・
埋めた筈の私の心が、もぞもぞと動き出してしまいそうだったから。
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