仕事柄、数多ある〇〇教育という言葉に日々接していますが、
一番気になるのは、目下、グローバル教育です。
「グローバル化」って、よく聞くけれど?
「グローバル教育」ってどういうこと?
「グローバル人材」って何?
その定義を短くまとめて説明することは難しく、
時と場合によって、また、状況の変化に伴って
答えは変わると考えています。
そういった前提の下で
自分の専門性と「グローバル」との関わりを考えると、
自分の志向を表す言葉としては、
「グローバル教育における異文化理解」というのが、
今は一番、近い。
「グローバル化する社会を生き抜くグローバル人材の育成」
というような文脈で「グローバル教育」という言葉を使うとき、
英語力とか、課題解決能力とか、
そういったことに注目が集まりやすいように思います。
しかし、
ESD(Education for Sustainable Development)の視点も含めて
グローバル教育をデザインしていく流れも、もちろんあります。
かつて(平成21年)文部科学省の資料の中に、
「(前略)異文化を背景に持つものや自然と共に生きることができる
寛容な精神を涵養することが求められる」
という(「かんよう」の漢字テストみたいな?)一文があり、
これについては、実は違和感を感じる部分もあるのですが、
そのあたりのことも含めて、「異文化理解」について
自分の考えをまとめていきたいと思います。
一番気になるのは、目下、グローバル教育です。
「グローバル化」って、よく聞くけれど?
「グローバル教育」ってどういうこと?
「グローバル人材」って何?
その定義を短くまとめて説明することは難しく、
時と場合によって、また、状況の変化に伴って
答えは変わると考えています。
そういった前提の下で
自分の専門性と「グローバル」との関わりを考えると、
自分の志向を表す言葉としては、
「グローバル教育における異文化理解」というのが、
今は一番、近い。
「グローバル化する社会を生き抜くグローバル人材の育成」
というような文脈で「グローバル教育」という言葉を使うとき、
英語力とか、課題解決能力とか、
そういったことに注目が集まりやすいように思います。
しかし、
ESD(Education for Sustainable Development)の視点も含めて
グローバル教育をデザインしていく流れも、もちろんあります。
かつて(平成21年)文部科学省の資料の中に、
「(前略)異文化を背景に持つものや自然と共に生きることができる
寛容な精神を涵養することが求められる」
という(「かんよう」の漢字テストみたいな?)一文があり、
これについては、実は違和感を感じる部分もあるのですが、
そのあたりのことも含めて、「異文化理解」について
自分の考えをまとめていきたいと思います。