「私は国外で語れることしか国内では語らない」


これは先日の橋本氏の言葉ですが、私はこういう言葉を聞くたび思うことがあります。

頼むから(謎の)世界?国外と対話するより、相手国家 対象国家 関係国家と会話をしてくれよと。


橋本氏にしてみれば米国と語ることは (思わず)国外と語ることと同義だったんでしょうが、

世界と対話するということは、そういうことではないと思います。


わざわざ日韓基本条約を蒸し返して、解決済みの問題をうわつかせたうえで

これから日本が対韓国 対米国と外交をしてゆくのかと思うと

最悪のカードを握られた中で、決定打を打てない日本の未来像しか

見えてこないです。


おそらくこの構造は多くの日本人が見えていない。


慰安婦問題が世界問題としてあったんだと議論のやり直しだと橋本氏が公言することは

それを中華圏や米国に、かえって外交カードとしてつかわれることに

なる可能性が高いです。


世界が慰安婦問題をホロコーストと同列化しようとしているから

日本の政治家も発信して抗するべきだと橋本氏は語っていましたが、

東京裁判で行われたのは、日本とドイツの同列化です。


極東軍事裁判とニュンデンベルク裁判で裁かれた人間は、戦犯という名目で

内実はどうであれ同列です。


橋本氏の提案というのはこの極東軍事裁判とニュンデンベルク裁判を

英米にあるいは国際社会に「まちがっていました」

と同列に語らせたい謝らせたいと、いっているようなものなのです。


私としてはそもそも慰安婦問題とホロコーストは

別物だと思います。しかし、それならそれで日本人としては

極東軍事裁判の「リンチ性」を語り、その不当性を語ればいい

だけだと思います。


なぜならそのリンチの結果、その後の日本社会から吉田清治や本田勝一が

発生してきたからです。慰安婦問題や南京事件をつくったのは、国内

の人間です。橋本氏が今後かえってどこに何を主張するつもりなのか

見ものです。



橋本氏がやろうとしているのはなにかニュンデンベルク裁判への

間接的な干渉であって、そのことをその場(ヨーロッパ)にいなかった日本人が

審判するような態度は何も日本人にもたらさないと思います。


その場(日米戦争)にいた日本人が日本のことを審判するより、ヨーロッパを審判してて

どうするんですか。


日本人である橋本氏がヨーロッパの問題であるホロコーストの犯罪性について、審判することそのものが

不自然であるという事に気がつける日本人が増えてほしいと私は思います。