川崎の宝がピッチを去る【川崎F】 | がんばれ少年・少女サッカー!

川崎の宝がピッチを去る【川崎F】

11月26日(日)川崎フロンターレは第33節ホーム最終戦を鹿島アントラーズと戦った。
前節の敗戦で優勝の望みは絶えたが、開幕前の公約『ベスト4入り』を高い順位で達成する為、残り2試合を連勝で終えたいところです。
そして2位を勝ち取れば来期ACLへの道も見えてくるので、決して消化試合ではない一戦です。
ホーム等々力競技場の最終戦となる試合後には今シーズン限りで引退する3選手の挨拶もあり、勝って花道を送り出してあげたいと思います。
今日も息子のサッカー練習を終え競技場に向ったが駐車場が無く、結局は武蔵小杉駅付近からの徒歩で試合開始直前の到着となってしまいました。

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左右に揺れるビッグフラッグに強い鼓舞のメッセージを感じる
入場も普段の5番ゲートが満席となり7番ゲートへ誘導された為、試合開始前のビッグフラッグ開閉には参加出来ませんでした。(メインスタンドから写真撮影班として自主活動していました)
3つ(ユニ、10th、元祖2001年仕様)広がったビッグフラッグでしたが、メインスタンドから見ると元祖ビッグフラッグは左右に揺れ広がっているだけの他の2つに比べ自己主張と選手を鼓舞する熱い気持ちが伝わってきました。

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後半開始は1Fゴール裏に出没したお馴染みビッグフラッグ
試合は途中経過のプレー精度の部分では消化試合でしたが、気持ち的には勝とうとする物が伝わってきました。
そしてシーソーゲームに終止符を打った『漢・箕輪義信』の魂のヘッドには本当にシビれました。

ゴール後、ベンチ・ベンチ裏に控える引退する3選手に向って指さした『ゴールを捧げる』ポーズにも『漢・箕輪義信』を感じました。

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後半ロスタイムの決勝ゴールを引退3選手に捧げる箕輪義信
試合終了後に引退・退団選手との別れを惜しんで真っ先に泣くのは毎年恒例となりましたが、今年の3人には常に全力でプレーし才能の差を埋めようとしてきた箕輪義信と同じ生き方をしてきた選手と同シーズンに磐田から構想外となり川崎に移った今野章の引退なので秘める物は格別なのかも知れません。

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川崎の熱き魂『漢・箕輪義信』が3人の精神を受け継ぐ
この勝利で2006年J1リーグ3位以上が確定し、最終節に2位を賭けてアウェーC大阪戦となります。


今日の我が家は娘が私立中学な公開体験授業(妻同行)だった為に試合観戦が出来ませんでした。
息子と私は等々力緑地公園内の駐車場が満車だと予想をしながらも、3選手の引退挨拶を見届けたくて車を走らせました。
今回引退を表明した鬼木達・今野章・長橋康弘の3選手は日本代表になった選手でも無く飛び抜けた身体能力や国際レベルの技術があった選手ではありません。
しかし川崎フロンターレの礎、私のサッカーの価値観、我が家の子供たちのサッカーの手本であった選手たちなのです。

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『川崎の宝』であり我が家のサッカー感を変えたプレイヤーである

特に私をボランチフェチに引きずり込んだ『川崎の宝』鬼木達選手の身体能力をカバーする『卓越したテクニック』『出足の早い詰め』『チーム全体を落ち着かせるボールキープ力』などのプレーと精神的な『絶対に諦めないハート』『一生懸命』さが私のサッカー感を変えました。
そして小さい頃、フロンターレのレプリカユニに7番を入れたいと言っていた娘は少女サッカーを始め無意識ながら詰めの早い泥臭い一生懸命なボランチとなりました。
これは誰が教えた訳では無いのですが、娘のイメージするボランチが潜在意識の中でキャプテン鬼木達だったのだと思います。

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引退セレモニーに残り『鬼木』コールをしてくれた鹿島サポ

そして息子はサッカーを始めた2002年~03年に縦横無尽にトップ下でピッチを駆け回るキンちゃんこと今野章選手を見て育った。
チームでは圧倒的に小柄な選手でありなが、石崎監督率いた川崎フロンターレの鬼プレスサッカーの肝であり申し子であった。
靴底が派手な配色のスパイクを履く事が多いキンちゃんは常に動き続け黄色や赤の原色の靴底が常に見える程、全力で走り続けていた。
息子には小さい頃から『上手い奴がサッカー選手になるんじゃなくて、上手くて一生懸命に頑張る人がサッカー選手になるんだよ』とキンちゃんを指しながら話をしてきた。
そして息子も少年サッカーでは屈強な身体も高さも無いが、攻守に一番ピッチを駆け回るようになった。
6年生担当コーチからも『息子さんはとにかく良く走りますね』と言われるが、これも親が教えた訳では無く自分が見たトップ下像が息子の足を動かしているのだと思う。

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いつも明るい3人の引退挨拶は涙で言葉を詰まらせる

最後に長橋康弘選手は私にとってはフロンターレそのものであったと思います。
97年のJFLでの初観戦で見せてくれた決勝ゴールから常に川崎フロンターレの右サイド・20番はヤスであった。
建さん、ガミさん、哲生が現役を退きチーム去ってゆく中、10年間変わること無くフロンターレを支えてくれた選手であった。
柔和なルックスに似合わない独特のドリブル、華麗なテクニックを持ちながら自分を殺してしまう性格が良いのか悪いのかは別にして、歴代の監督たちが常に右サイドで使い続けた柔軟性が彼の最大の武器だったのだと思う。
彼の攻撃的才能を知っているサポーターからはパスを外国人に繋ぐ消極的な部分、サイドで守備的になる部分など批判される時もあったが、これらは彼の本望では無くチームの為のプレーだった事は以前TVでのガミさんとの対談で漏らしていた。
現在、常勝チームを目指すスタート地点に立ったフロンターレではあるが、10年間右サイドのポジションを守ってきたヤスには勝利と言う結果とは別に自分の理想のサッカーとの違和感があったようだ。

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10年目で選手・サポも世代交代。でも変わらないで欲しい全力!
しかしこの3人が現在J1で活躍をする川崎フロンターレに受け継がれている『一生懸命』『諦めない』精神・チームカラーを築き、そして『J2での苦しみ』を担ってきた選手である。
鬼木達・今野章の後を受け継ぐ中盤である日本代表の中村憲剛、五輪代表候補の谷口博之、長橋康弘の後を継ぐ右サイドの森勇介には彼らの想いも受け継いで欲しいと思う。


J1リーグ第33節試合結果
[得点]
川崎フロンターレ 3-2 鹿島アントラーズ
[勝点64]         [勝点55]


[得点者]
【川崎F】51分 中村憲剛、71分 ジュニーニョ、89分 箕輪義信
【鹿 島】21分 野沢拓也、74分 本山雅志


【入場者数】17518人