息子のチーム選択【息子とサッカー③】
宝陽幼稚園に入園し3年目となり息子が待ちに待った幼稚園サッカー部(月・水・金)とヴェルディSS(火)のサッカー漬けの生活となった。
幼稚園年少組の頃から休み時間は園庭にある他の遊具には目もくれず、年長サッカー部員に混ざってサッカーボールを蹴って遊んでいた息子であったが、やはり揃いのユニホームを着込んでの練習は格別だったようだ。
ヴェルディで教わる小技は息子にとって刺激的な練習
そして週一回のヴェルディSSで担当コーチとして出会った大野忍、近賀ゆかり【日テレベレーザ】両コーチの教えてくれるテクニックに刺激され息子のサッカーは進化して行った。
卓越した個人技、テクニックを持つ大野コーチ、スピード系でサイドを駆け上がりタイミングの良い攻め上がりを見せる近賀コーチと異なるタイプの女子サッカー選手を体感した息子はスクールの無い日は、ひたすら教わったプレーを復習していた。
そしてこの時期に刺激を受けた存在が幼稚園サッカー部のチームメイトであるK太君の存在であった。
幼稚園通算96得点のK太君(左)と95得点の息子(右)
ドリブラータイプの息子に対し彼は決定力が高い点取り屋であり、右利きの息子に左利きのK太君であった。
体型も田中達也タイプの息子と永井雄一郎タイプで手足が長いK太君(共にプレーは全く足に及ばない例えであるが・・)と何から何まで対照的な2人であった。
2人はお互いが意識するライバルであり良きパートナーであった。
幼稚園の練習で2人の1対1は永遠に決着が着かないのではと思わせるぐらいにお互いが突破し、阻止する繰り返しであった。
K太君も息子との対戦を楽しみにしていたようで、列の順番がずれて対戦出来ないと分かると前に並んだ友達に頼んで息子とマッチアップする順番に変わって貰っていた。
1年間の練習、試合を通してお互いの特長を知り尽くし共存する術を覚えた2人の試合は決して団子サッカーにならず、他のチームメイトと起こる味方同士のボールの奪い合いなどは皆無であった。
この世代の宝陽幼稚園サッカー部は強かった娘の世代に勝るとも劣らないとの評価を受け、全体的なバランスでは娘の世代のチームより良いのでは無いかと園長や先生に言われていた。
優勝の原動力として2人で仲良く表彰式でカップ・賞状を貰う
息子たちのチームも夏の第15回港区ちびっこサッカー大会で優勝を皮切りに交流試合などを連戦連勝で勝ち進んだ。
そして幼稚園サッカー部の3大タイトル(ヴェルディ主催大会・昭和記念公園全国大会・卒園記念大会)の1つであるヴェルディ主催のポカリスウェット杯の時期がやってきた。
この大会は私たち夫婦にとって1番嫌な気の重い大会である。
ヴェルディ主催ポカリスウェット杯は稲城市近郊の多摩地区のサッカークラブ、幼稚園サッカー部と首都圏の強豪サッカークラブ、幼稚園サッカー部を招いての大会となる。
当然ながらヴェルディSS年長クラスは2チームを編成し参加するが、息子の通う宝陽幼稚園サッカー部も毎年大会に招待されているのである。
第1回大会となった娘の世代もヴェルディSSと幼稚園サッカー部を掛け持ちしていた3名中2名(娘は問題外)を巡って親同士が険悪な雰囲気になった事があった。
その際は3名(A1人B2人)ともヴェルディに参加し見事Aチームが大会を制した。
宝陽幼稚園サッカー部も決勝トーナメントへ進出したものの中心的存在の2人を欠き敗退してしまった。
ヴェルディ大会参加が決まった頃から息子がどっちのチームで参加をするのかが、お母さん達の話題でありストレートなお母さんは妻に『まさかヴェルディで出ないわよね~』と意思を伝える人もいた。
私たち夫婦の率直な意見は『幼稚園での大会は何回もあるので1つぐらいヴェルディで参加しても良いかな?』であったが、プレーするのは本人であるので大会参加チームは息子の判断に任せた。
そして息子は宝陽幼稚園サッカー部の赤いユニホームを着て大会に参加した。
息子は赤いユニホームを着てヴェルディ主催大会に参加
この年の宝陽幼稚園サッカー部もA・Bの2チームで参加することになり息子とK太君擁するAチームは危なげない試合で決勝トーナメントに進出しBチームも引分けはあったが決勝トーナメント進出を果たした。
宝陽幼稚園サッカー部Aチームの試合をグランド横で見ていた他チーム関係者と大会運営の人からは『宝陽Aは強いぞ!ヴェルディに勝つかもな!』との話も聞かれ程の完勝を収めた。
しかし決勝トーナメントではヴェルディSSとの準決勝を前に宝陽幼稚園サッカー部Aチームは伏兵さいわいFCの前に終了間際の逆転負けを喫した。
ヴェルディSSとの対戦前の敗退にかなり凹んだ息子
大会を終えた宝陽幼稚園サッカー部はよみうりランドでの現地解散となり、息子は1人残って決勝進出を果たしたヴェルディSSの戦いをサイドラインの応援席で見守った。
宝陽幼稚園サッカー部がヴェルディSSに勝てると信じていた息子は対戦を前に敗退した事が本当に悔しかったようで、ヴェルディSSの友人たちが戦う決勝を見ながら人目を憚らず泣き続けていた。
そしてそのヴェルディSSも決勝で試合終了間際のカウンターでトリプレッターの前に沈んだ。
試合後ヴェルディSSの友人たちに『お前がこっちに出ていたら優勝出来たのに』と言われますます落ち込む息子でした。
よみうりランドからの帰り道に息子は私たちに『なんでヴェルディで大会に出ろって言ってくれなかったの?』と突っかかって来た。
息子は姉がヴェルディでこの大会に参加した事を言い出し私たちに文句を言い出したのである。
私は息子に対して『誰が選んだんだチームだ?』と声を荒げた。
そして息子に『自分が選んだことが上手く行かなかったからって文句を言うな』『負けるのが嫌だったら自分で何が一番良いか良く考えて選べ』そして『そんな文句を言う奴は親が選んだチームで負けたら親のせいにするだろう』と一喝してしまった。
息子としては自分が選んだ幼稚園チームの結果、ヴェルディSSの友達から言われた言葉に対して消化しきれない気持ちから出てしまった発言なのだと感じた。
元チームメイトK太君とは小学生になっても熾烈な1対1を展開
息子は『ヴェルディでの次の試合はいつあるの?』と聞いてきたので、私は『試合はもう無いよ。次はヴェルディJRに合格しないと緑のユニホームを着て試合は出来ないんだよ』と答えた。
息子はその事実に残念がりながら『僕もっと上手くならないと』と言い、いつのまにか眠りに就きました。
彼の中で何か明確な目標が出来た2004年11月であった。





