赤い巨星が逝く【大学アメリカンフットボール】 | がんばれ少年・少女サッカー!

赤い巨星が逝く【大学アメリカンフットボール】

日本大学フェニックスの元監督(元日大教授)の篠竹幹夫氏(73)が亡くなった。
日本のアメリカンフットボール史に置いて『篠竹監督』『日大フェニックス』は金看板であり、私がアメリカンフットボールに携わった1980年代は彼と日大フェニックスが中心に日本のアメリカンフットボールと言う競技が動いていたのは間違いない。
本場アメリカをも驚愕させる斬新なショットガン戦術と未経験者を日本のトップアスリートに育て上げるスパルタ練習で日大フェニックスを大学日本一に17回(日本一4回)導いた。
私の学年時代にアメリカンフットボールをプレーしていると聞いた知人たちが少ない知識から共通の話題として会話に盛り込むのが日大フェニックスであり篠竹監督であった事を思い出す。
高校時代FBだった私が顧問の先生に進路を相談した際も『篠竹さんの所へ行ったら4年間QBの前でブロック役だぞ』『ショットガンのフェニックスにはFBは無いぞ』と言われ他大学への進学を薦められた記憶が今も忘れられない。
子供たちに良いグランドコンディション試合を行わせる為に雨中の夜遅く父兄を呼び出し雑巾とスポンジでグランドに溜まった雨水を取り除かせるなどの強引な手法、厳しい練習から部員が集団退部をしたりと非難される事も多々あったが、篠竹監督ほど真剣に日本のアメリカンフットボールの将来を考えていた人は存在しなかったのも事実である。
私にとっては常に敵方であり、味方としてプレーの経験は無いが名将篠竹監督が全身全霊を投じたアメリカンフットボールの一時代に身を置けた事を幸せに思う。
そしてアメリカンフットボールの為には惜しみなく自己犠牲を払い本気で『本場アメリカ大学チームに勝とう』と思った唯一の指導者の死を心から残念に思う。