スペインはマドリードとアルカラエナレスに行ってきました。

マドリードは今まで訪れた首都の中ではもっともきれいな印象を受けました。壁の落書きも少なくごみも落ちていません。翌日に大きなマシンで街を掃除しているのを見かけました。さすが観光国家。スペイン人はイタリア人と比べると若干クール。英語力もイタリア人よりも低い印象。というか英語を話してもスペイン語に聞こえてしいます。
 スペイン人はなんと言ってもおしゃれです。男女問わず原色をつかったファッションが多く、男性はかっこよく、女性はかわいさの中に色気を感じました。さすがZARAが生まれた国ですね。子供までかわいらしいおしゃれな服を着ていました。マラケシュで働いている子供たちとのギャップを感じました。
 優勝はイベリコブタのハム、パエリア、イカリングなどスペインっぽいものを食べました。おいしすぎます。
 プラド美術館ではスペイン出身の有名画家ピカソのゲルニカを見ることができました。僕には適当な絵にしか見えませんが、あれも芸術なのですね。

 翌日は最初の計画的大学都市と言われていて世界遺産にも登録されているアルカラエナレスに言って参りました。のんびりとした町並みで統一感があります。とてもきれいで、ゆったりぶるぶら街を眺めているだけで癒されます。アルカラエナレスから戻った後はサンティアゴベルナベウスタジアムです。あのレアルマドリードの本拠地。博物館もあって見ごたえありです。迫力がありました。


モロッコ(マラケシュ)旅行は衝撃の連続でした。

1日目
まず空港に到着してすぐにタクシーの運転手が次々に話しかけてきます。俺のタクシーに乗れと。断ってもアグレッシブについてくるので振り切るのが大変です。無事バスに乗り街へ向かいました。途中、外の景色を眺めているとぽんこつの車とバイクが走っていて、途上国の雰囲気をそこで味わいました。
 バスを降りるとこれまた大変。「こんにちはー」といいながら次々に人が話しかけてくるではありませんか。「ホテルは見つけたのか?」「馬車に乗らないか?」などなど。歩いてるだけでタクシーの運転手もいちいち車を止めて、「タクシー乗るか?」と話しかけてきます。ほとんど英語です。モロッコの公用語はアラビア語とフランス語ですが、街で働いている人々はほとんど英語を話すことができます。決してきれいな発音ではありませんが、コミュニケーションはとれました。話しかけられすぎて疲れたのでカフェで休憩をとることに。店内ではさすがにリラックスできます。
 休憩をとった後はタクシーでホテルへ。乗る前にしっかりといくらで行けるか事前に確認したうえで乗りました。モロッコはぼったくりで有名なのでこの確認は非常に重要です。ホテルの正確な場所を白なったタクシー運転手は大体の所で下ろしてくれました。そこから歩いて探したのですが、なかなか見つかりません。現地の子供が案内をしてくれるということなのでついていくことにしました。子供2人はフランス語で話しかけてきましたが、何を言っているかまったくわかりませんでした。無事ホテルに到着すると、子供たちはお金を要求してきました。話には聞いていたので一人あたり100円ずつ渡しました。しかし100円では足りないといって、その場を去りません。こちらも余計な出費をしたくなkったのでもう100円を渡して帰るように言いました。しかしまだ去りません。子供たちは泣きそうな顔で「サッカーボールが欲しいから500円欲しいというのです。」さすがにそのことばは胸に突き刺さりました。サッカーボールも変えないのかこの国はと。。。お金をあげてもきりがないと判断し、子供たちを振り切ってホテルに入りました。
 ホテルはリヤドと呼ばれるモロッコの雰囲気ただよう、素敵ところでした。ただここのスタッフのほとんどが英語をはなせず、一人だけ英語を話すスタッフがいました。しかし彼女は常時いるわけではないので、スタッフの人々と会話するとき時にはパソコンを持っていき、グーグル翻訳を使ったりジェスチャーを使ったりと大変でした。しかしそれもまた楽しかったです。
 マラケシュのいたるところにオレンジジュース屋さんを見かけました。大体40円で飲めるので飲んでみると100パーセントのオレンジジュースよりもオレンジ感たっぷりでした。絞りたてらしいです。
 モロッコにある宮殿は今まで見てきた西欧の宮殿とは規模、デザインという点で大きく違いました。規模は少し小さめです。デザインは人物の彫刻や絵がなく、細かく木を掘ったデザインが特徴でした。本当に繊細な彫刻でどれも美しいです。
 旧メディナの中をぷらぷらしていると、とあるモロッコ人に話しかけられました。日本に興味があるらしく、少し話したいから一緒にお茶でものもうと言うのです。ガードがあまい僕ら2人は疑いながらもついていってしまいました。彼のお店の奥に案内され、少し怖くなりました。人目のつかない店の奥でなにをされるんだろう。お茶に睡眠薬でも入れられて、財布とられるのかな。。などなどいろいろ考えていました。お兄さんはお茶持ってきて、さあ飲んでといってくれたのですが、怪しかったので彼が飲むまで待っていました。彼が飲んで何も起きなかったの僕たちも飲み、結果なにも毒や睡眠薬は入っていませんでした。いろいろとマラケシュの紹介をしてくれた後、店の商品の紹介を始めました。もしかして、この店の商品を買わないと店から出してくれないのかな?などとまた疑ってしまいます。しかしそんなことはなく、もうそろそろ店をでたいというと、あっさりと出してくれました。ただ単にいい人でした。こんなにもいい人を疑ったのは初めてです。
 夜はタジンとクスクス。タジン鍋は特においしかったです。ぜひまた食べたいものです。平均500円でディナーを食べられます。最高です。レストランを出た後は屋台をぶらぶらしました。ここでもみな「コマネチ」「そんなの関係ねー」「コンニチハー」「安い」などと言って次々に話しかけてきます。まるで三田祭の客引きと一緒。みなさん楽しそうに客引きをしていました。
 その後歩いてホテルまで戻ると若者が次々と「葉っぱいる?」と日本語で話しかけてきます。ここでは葉っぱも結構出回っているのですね。夜のマラケシュは建物もボロボロで外灯も薄く暗く、不気味です。

2日目
 二日目はベンユーセフマドラサというところに向かうため歩いていると、一人のお兄さんがいつもどおり、案内してくれると話しかけてきました。彼は革なめし工場を見学させてくれると言うのです。断りましたが、偶然方向が一緒だったので、ついていくような形になりました。そして僕たちの目的地についたので別れを告げると、そんなのは跡で見ろと言うのです。工場見学は今日だけだと。革なめしはマラケシュの名物なので見てみることにしました。どうせお金は請求されるだろうと思いましたが、せいぜい500円くらいだろうと踏んでいました。工場のオーナーも親切に案内してくださいました。そして帰ろうとしたときのこと、4人くらいに囲まれ2000円払えといわれました。工場のオーナーの顔もこのときにはガラっとかわり、かなり険しい表情になっていました。しかし2000円は高すぎるとこちらも反発。少しもめた後1000円にしてやると言い。200DH札(2000円)を渡し、おつりを待っていました。そしてオーナーが100DH札を持ってきて、「これをおつりとして渡すから200DH札をくれ」というのです。明らかにさっき渡しただろうと思い、それを言うと向こうは知らんぷりです。人目のつかないところでこれ以上反発しても危険だろうと判断し、」200DHを渡し100DHを受けとった後すぐに工場をでました。工場を出た後は案内してくれたお兄さんがチップをくれとしつこいので100円渡しました。足りないとか言っていましたが、もうめんどうだったので「thank you」と言って無理やりさようなら。工場内での事件ですっかり疲れてしまいました。あんなに大きな声をだしたんは久しぶりでした。まあこのような事件が楽しくてモロッコに来たわけですから、よかったです。
 スークと呼ばれる地区は地図にのってないような細かな道が多いので迷ってしまいます。現地の人に道を尋ねながら何とか戻ることに成功。ご飯を済ませ、早めにホテルへ。

3日目
 モロッコ最終日。1日目のやさしいお兄さんのところに挨拶へ行き、新市街へ。新市街には意外にもピザハット、ZARA、マック、KFCなどがありました。旧市街とはまったく違う雰囲気で、わりと発達しているところをみることができました。マックのセット価格は大体450円程度で他の先進国よりは少し安いくらいです。しかしモロッコ国民にとっては高い値段でしょう。マックの店員さんはみんな若い女性で美人ばかり。完璧な英語を話しました。完全にターゲットはマラケシュ市民ではなく、観光客なのでしょう。

まとめ
マラケシュでは働いている子供たちをたくさんみかけました。店頭に立つ子供、ティッシュを売る子供など。また女性の労働者はほとんど見かけませんでした。女性の識字率が30パーセントという低水準であることが原因なのでしょう。一方商人は4ヶ国語を話す人が少なくなく、その積極的に観光客とコミュニケーションをとる姿には驚きです。ホームレスまで日本語で挨拶をしてくれました。観光都市としての自覚が市民全体にあるのかもしれません。もうひとつ驚いたことは交通ルールがまったくないということ。信号はほとんどなく、安心して道を歩くこともできません。子供がバイクにぶつかりないていて、親と運転手がけんかをしていたり、タクシーと普通の乗用車がぶつかって喧嘩をしているところを見かけました。
 モロッコ経済の発展スピードは遅いものの、市民の商売根性とエネルギーが伝わってきました。学校へ行けない子供たちが多い状況が続けば、この国の発展はまだまだ期待できないでしょうが、すべての人に学校へ行く機会が与えられたならば、彼らのすさまじい学習意欲で多くのものを吸収するでしょう。それが観光と資源に頼っているモロッコ経済を強固たる工業国へとつながっていく。工業国へと変化を遂げるためには今の閉ざされた市場では不可能です。中東、北アフリカの改革はこの閉ざされた市場を変えるために重要な運動であることは間違いないでしょう。もし市場が開放されらばより多くの外資系企業がその安い労働を求めて進出してきます。その結果として直接投資を受け、工業国になり、安定した経済発展が望める。
今回の旅行は予算1000ユーロを目標に4カ国8都市の旅をしてきた。結果1050ユーロを使ってしまったが、とても有意義な旅行となった。それぞれの国で貴重な物を見て体験して、どれが一番とは言いがたい。各国それぞれ違った魅力や面白さがある。

イタリア
ローマ
1日目
 到着後、さっそくイタリアンランチを食べるために駅の近くのレストランに入る。ドリンクはやはりカプチーノを注文し、ピザはもちろんマルゲリータ。英語のメニューに加えて日本語のメニューもあった。町を歩いていると中国人も見かけないことはないが、日本人観光客が目立つ。その割合は同じくらいか、若干日本人の方が多いかもしれない。中国人観光客が増えていることは間違いないが、まだイタリアはそれに対応できないないようだ。
 その後、ぷらぷら街を歩いていると三越ローマ店を発見。中に入ってみるとセレブな日本人のおばさんが買い物をしている。店員さんは半分くらいが日本人で、お客さんはほとんどが日本人。ぜんぜん流行っているようには見えない。原因は規模が小さいために、現地の百貨店の方が品揃えもいいし特に差別化もされていないからだと思われる。日本に特化した商品も見当たらない。
 そして彼女を空港までレオナルドダビンチ空港まで迎えに行き、無事合流。合流後最初に向かったのはパンテオン。パンテオンは紀元前27年から25年にかけて立てられた。外観は歴史を感じさせる古代ギリシャ様式の柱があり、貫禄を感じた。中に入ってみると美しい天井と内装に感動。オレンジ色に光る内観に天窓から薄暗い空が見えて見とれてしまった。現在はラファエロの墓があるそうで。2000年以上もその形を完全に残しているパンテオン、驚愕だ。
 そして次に向かったのは噴水が彩る華やかな広場、ナヴォーナ広場。夜にライトアップされた四大河の噴水(ベルニーニ作)はとても美しく20分くらい眺めていられる。そこで15ユーロバックにある教会も噴水にマッチする感じで美しく照らされていて雰囲気マックス。カップルにオススメ。

2日目
 翌日、待ちに待ったカトリックの総本山で世界遺産に登録されているバチカンに向かいます。まずはベルニーニによってデザインされたサンピエトロ広場です。すでにサンピエトロ大聖堂のオーラを感じてしまうこの広場。広場を囲っている何本もの柱もまたかっこいい。サンピエトロ大聖堂の中に入るとそれはそれは厳かなな感じで、今まで見てきた教会とは金を多く使った装飾は他の教会に比べて派手でした。美術品もミケランジェロ、ベルニーニを中心にたくさんの有名作品を見ることができました。そして隣に位置するバチカン宮殿(博物館)に移動します。ここの見所はなんといってもシスティーナ礼拝堂。会が市場の大傑作、描かれた新曲といわれるミケランジェロの最後の審判がありました。芸術はわかりませんが、大きくてオーラだけは感じ取れました。ラファエロの間は彼が12年かけて完成させたそうで、やはり美しかったです。昼の12時にはしっかりローマ法王が窓から顔をだしていただきました。
 バチカンを満喫した後はスペイン広場でジェラートです!ローマの休日風にジェラートをかぶり。イタリアで食べるジェラートは格別です。たくさんの人でにぎわっていて気分もルンルンしてきます。定番の詐欺ミサンガ売りに話しかえられましたが、しっかり断ることができました。
 次に向かったのはトレヴィの泉です。こんなに大きく芸術的な噴水は見たことがない。ここでも20分は見とれてしまいます。
 コロッセオまで地下鉄で移動しましたが、その地下鉄が汚すぎることに衝撃を受けました。地下鉄の外装は見事な落書きで埋め尽くされていました。ある意味芸術ですが。。。そしてコロッセオに到着。駅をでてすぐに待っていました、コロッセオが。紀元前80年には完成し収容人員5万という驚きの円形闘技場です。2千年以上も前にこんな大きく高い建物を作ったなんて信じられません。
 そして歩いて真実の口へ向かいました。真実の口で記念撮影。無事かまれずにすみました。その後は電車でフィレンツェへ。
 ホステルのおじさんはまったく英語を話せません。すべてイタリア語で丁寧に説明してくださったのはありがたいのですが、まったく理解できず。こちらが英語で話しかけても、愛想よくイタリア語で返してくれます。まあそれはさておきディナーを食べにレストランへ向かいました。レストランの店員さんも愛想よくオールイタリア語で対応してくださりました。彼もまた英語に対して嫌は顔ひとつせず、愛想よくイタリア語を話していました。食後はレモンのリキュールとワインですっかり酔ってしまいました。

3日目
フィレンツェ
フィレンツェはあいにくの雨でスタートしました。さらに月曜にということでウッフィツィ美術館もパラティーナ美術館もまさかの休館。まず最初に向かったのはドゥーモ(サンタマリアデルフォーレ大聖堂)です。白とピンクとグリーンを使った細かく珍しいデザインが印象的でした。天井のフレスコ画「最後の審判」には圧巻。どうやって書いたのか知りたいです。
 フォカッチャを食べた後はシニョリーア広場に移動しました。たくさんの彫刻が並び、まるで屋外の美術館のようです。コピーではありますが、ダビデ像にも会うことができました。
 次に向かった場所はサンタクローチェ教会。中にはダンテ、ミケランジェロ、マキャヴェリ、ガリレイアンドの墓がありました。厳格な雰囲気が漂っていました。
 そしてフィレンツェ最古の橋ヴェッキオ橋付近でジェラートを食べて宝石店を眺める。高くて変えないのでウィンドウショッピング。その後サンタマリアノヴェッラ教会に向かったものの、おしくも閉館となってしまい、入ることができませんでした。その晩はおいしいリゾットを頂きローマに戻りました。

4日目
ローマ
 彼女を空港まで送った後はバチカンのサンタンジェロ城へ。天使と悪魔に登場するらしい彫刻としっかり記念撮影をしておきました。天気もよく、テラスから眺めるローマの景色は最高でした。
 次にコロッセオの中を見てなかったので、再びコロッセオへ。古代の技術に感心しているとスペイン人の若者が一緒に写真を撮りたいと、笑いながら近づいてきました。どうせお金を請求されるのだろうと思い、ずっと無視していました。しかし彼らは修学旅行生ということは後にわかり、一応写真をとることにしました。彼ら喜んでいましたがなぜ僕たちと写真を撮りたかったのかは未だになぞです。
 イタリア最後は古代ローマの民主政治の中心フォロロマーノで締めくくりました。相当な疲労もあって到着後すぐに遺跡内で仮眠をとってしまいました。半壊してはいますが、2千年たってこれだけ残っているのは驚きです。
 ホステルへ向かうためにタクシーを使いました。乗車時間はわずか10分くらいなので高くても20ユーロくらいだろうと思っていると、40ユーロを請求されました。運転手いわく「ココはローマの外で、深夜だし、荷物も多いからと」こちらも乗車前に確認しなかったのが悪いので仕方なく40ユーロを払うことに。ホステルのスタッフに尋ねるとやはり相場は20ユーロ。40はありえないとのことです。タクシー乗車前には尋ねることが重要だということを学びました。次の日の朝が早かったのでホステルのスタッフにタクシーを予約してもらおうとすると、すでに午後11時半でどこのタクシー会社も電話を受け付けておらず、なかなか予約できませんでした。1時間くらい必死に探していただきなんとかなりました。ホステルのスタッフの対応のよさに感激です。無事イタリア旅行は終了しました。

まとめ
 イタリアで特に印象的だったのは人の明るさとやさしさ。英語を話せる人も話せない人もみな明るく親切に対応してくれました。笑顔でボンジョルノといえば明るく返事をくれます。冗談もよく言い、店員と顧客のコミュニケーションが非常に多いという印象を受けました。しかし観光都市の割りには英語力がまだまだ足りないというマイナスの印象も受けました。より多くの観光客を集めるためには中国語や英語に力を注ぐ必要があると思います。しかしながらはやりイタリアに残る遺産はどれも偉大で見るべきものがたくさんあります。またぜひ訪れたいと思います。