その日は、近隣の高岡イオンにいました。

はじめは何か天井とか建造物の一部が破損したかのような大きな音がして、そのあと大きな揺れが起こりました。

すぐ外に出ようと思いましたが、あまりの揺れで立つことも出来ず、その場で座り込むしかありませんでした。

 

とにかく家に帰ろうと。

家の方向は震源に近い方へ向かわないといけないのですが、

高速道路は封鎖で、裏道の山道を超えるしかありません。

 

運転席からは、斜めになった電柱が見えたり、よくよく見ると道路がヒビ割れていました。

富山県は地震や災害が少ないところなのですが、いつもと違う光景を見て、だんだんと大変な事が起こったんだないう実感が湧いてきました。

山道も200mおきくらいに地割れがあって、車が通れるのか?家にたどり着けるのか?心配になってきました。

海に近い人たちは津波を恐れて山道に登ってきていて、くるまが渋滞していてました。

真っ暗な道のはずなのに、車のライトが連なって、人が暗い道を右往左往していて本当に異様な光景でした。

僕が通った山道は翌日から通行止めになったのですが、とにかく山を越えることが出来て夜遅くになんとか家に帰れました。

 

おめでたい元旦にまさかこんな目に遭うとは・・・。

 

家に帰ると、とりあえずテレビが倒れていて、事務所兼の僕の部屋は書類棚が倒れていて資料などが散乱して足の踏み場がないような状態でした。

とりあえず飼い猫が心配だったので名前を呼んだのですが、いくら呼んでも出てきません。いろいろ探しているとソファのしたで耳を斜めにして怯えていました。(生きてて良かった)

 

FS-RACINGのパーツが置いてあるプレハブ小屋に行くと、案の定パーツが散乱していました。

ラジコンの車体は倒れてなくて無事でした。

 

夜が明けて、家の周りを見ると、近所の家も被災しているところが何件かありました。

家の瓦が崩れていたり、納屋兼車庫が倒れ掛かっていたり、道路が寸断されて通れなくなっていたりしていました。

 

結局うちの被害はテレビ1台と棚が破損、若干車庫の横のコンクリートがヒビが入ったくらいで、全然生活できるレベルだったので不幸中の幸いだったかと思います。

 

ただ5日間は断水で水の確保に本当に困りました。

飲み水程度ならいいんですが、困ったのはトイレを流す水でした。

お風呂の代わりに身体を拭けばなんとかなるのですが、トイレばかりはそうもいかず・・・。

毎日90リットルの大きなポリタンクを持って水の出る実家に水をもらいに行って、それでなんとかしのぎました。

(大量の水の運搬のおかげで腰痛が・・・)

 

僕の家は氷見市というところで、富山県では一番被害が大きかった地域ですが、石川県の珠洲町、輪島、七尾市ではご存じの通りそれどころじゃないくらい大変で、人命が失われたり、広い地域で住居が倒壊したり、火災などが起こったりと、帰る場所が無くなった人が大勢いらっしゃいます。

僕の家からそんなに遠くないので、新鮮な海鮮料理を食べに行ったり、ノスタルジックな街並みを見に行ったり気軽に行ける癒しのスポットだったのですが、もう存在しないのかと思うと本当にさみしい気持ちがします。

被災した方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

以前は東北の震災や阪神淡路の震災など、大きな震災がありましたが、どこか他人事のように感じていた自分でしたが、今は大変だったんだなと痛切に感じています。

 

普通に生活できることにとても感謝です。

そして万が一に備えての防災準備も必要だと心から思えます。

 

励ましや、メールをいただいたお客様もおられまして、本当に有難うございました。

 

現状、通常の生活に戻っていますので、今は問題ございません。(腰痛くらいしか・・・)

 

年の初めにこんなことになるとは思いもしませんでしたが、いい年になるよう、そして楽しい1年になるよう頑張ってまいりましょう!(^^)/