「球界のご意見番」大沢親分が死去…78歳、胆のうがん
スポーツ報知 10月8日(金)8時0分配信
「親分」の愛称で親しまれ、日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二さんが7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳だった。堅守の外野手として1959年の南海の日本一に貢献。日本ハム監督では81年にチームを19年ぶりのリーグ優勝に導いた。テレビ番組では「喝」と「あっぱれ」を使い分け、球界のご意見番として活躍。先月19日のテレビ出演を最後に、23日から都内の病院に入院していた。
病床でも愛する野球を思い続けていた。大沢さんはベッドに横たわりながらも硬球を握りしめていた。「最後まで親分を通すぞ。倒れるまで頑張る」と周囲に力強く語っていたという。昨年10月に胆のうがんが見つかり、何度か抗がん剤治療を受けながら仕事を続けていた。「腰が痛い」と繰り返し、先月23日に病院に行くとそのまま入院。1週間前ぐらいから言葉が不自由な状態になった。容体は安定していたが、7日朝になり急変。由紀子夫人(77)をはじめ家族らに見守られる中、帰らぬ人となった。
持ち前の親分肌で負けん気の強い性格は高校時代からだった。3年時の神奈川大会で審判のジャッジに不満を持ち、試合後にほかの選手とともに蹴るなど暴行。前代未聞の事件に、母校・神奈川商工は1年間の出場停止処分を受けた。しかし、この時の審判が立大OBで、野球の実力とともに、その性格を買われて進学することとなった。立大では2学年下の長嶋茂雄、故・杉浦忠らとともにプレー。南海に入団4年目の1959年には巨人との日本シリーズで、打者によって中堅の守備位置を変えて日本一に貢献した。
日本ハム監督に就任5年目の80年オフ。優勝に執念を燃やしていた大沢さんは、当時の大社義規オーナーが媒酌人を務めたばかりの高橋直樹投手を放出し、広島の江夏豊投手を獲得することを進言。「優勝するためにどうしても成立させてくれ」と熱く説き伏せた。この年に江夏は抑えとして25セーブを記録。オーナーにも強い思いをぶつけ、チーム19年ぶりのリーグ優勝という結果を出した。
監督で6度、コーチで1度と計7度の退場処分を受けた激情的な性格の一方で、周囲への気配りも欠かさなかった。選手や球団関係者と食事をする際は、その家族まで呼んでもてなしたという。
病気を患いながらも日曜朝のテレビ番組「サンデーモーニング」への出演復帰には強い意欲を示していた。先月19日が最後となってしまったが、大沢親分は、天国からも球界のために「喝」を入れてくれるはずだ。
◆大沢 啓二(おおさわ・けいじ)本名・昭(あきら)。1932年3月14日、神奈川・藤沢市生まれ。県立平塚工から神奈川商工に編入し、2年夏に甲子園出場も2回戦敗退。立大を経て1956年南海(現ソフトバンク)に入団。59年の日本一に貢献。東京(現ロッテ)に移籍した65年引退。71年からロッテで2年間監督を務めた。76年から日本ハム監督で、81年に19年ぶりのリーグ制覇。球団常務を経て93年に監督に復帰、2シーズン指揮を執った。兄2人(伸夫、紀三男)もプロ入り。また、タレントの大沢あかねは孫。
▼通夜 13日午後6時
▼葬儀・告別式 14日正午から午後1時半
いずれも東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。喪主は長男・康人(やすと)さん。葬儀委員長は黒江透修さん(社団法人全国野球振興会理事長)




三度に渡りファイターズの監督を務め、常務取締役管理部長としても活躍さえた大沢啓二氏が亡くなられた。

ファイターズだけではなく、ベースボールやスポーツのことをもっともっと語って欲しかったこともあり、無念の想いだけである。


ファイターズの故・大社義規オーナーが生みの親なら故・大沢啓二氏は育ての親だった。


日本ハム株式会社が経営権を譲り受け、故・大沢啓二氏が監督就任してからチームはゼロからのスタートであった。
ドラフトでは指名拒否が相次ぎ、柏原純一・江夏豊等を獲得する大型トレードを仕掛け続けた。
また、故・大沢啓二氏が常務取締役管理部長という編成権を得た実質的なゼネラルマネージャーに就任することにより、スタッフのエントリーやスカウトのノウハウを蓄積続けた。
そして、育成はライオンズ黄金期とカルフォルニア海外キャンプを観た事により、環境充実の必要性を感じ、鎌ヶ谷ファーム組織を提唱し、立ち上げた。


毎年、仕掛けられる大型トレード。
パ・リーグを経験し、指導歴がある監督を選出する姿勢(トレイ・ヒルマン氏を除く)。
スカウトが足と目で獲得する姿勢。
これだけでも大沢イズムがファイターズの中に脈々と残っている。


打撃投手等の裏方にも常に気を配り、義理と人情を大切にした方だった。
その中でも故・大沢啓二氏と乱闘事件を起こした元ブレーブス竹村一義氏がキャンプでテストを受けた際のエピソードをインタビューで語っていたが、温かさと非常に感じるエピソードであった。


1981年にリーグ優勝した当時の故・大社義規オーナー、故・菅野光夫氏と先に天国へ逝ってしまったお二人とファイターズ談議をして見守り続けて欲しい。


そして、悲しいことに晩年、故・大沢啓二氏を揶揄している一部のファイターズファンと自称する輩たちがいたが、彼らは氏がファイターズの育ての親である歴史的事実という重みを知らない悲しい人種なのだろう。


最後に心から深く冥福をお祈りする。





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