お久しぶりです。悠造です。


皆さんお元気ですか?まだまだ気が緩められない世の中ですね。とはいえ世界が少しずつ順応し始めたのは確かです。気配りも配慮も順応の中に生まれるものです。そこを無視して生きていくことは簡単ですが、それは地球規模の老化に繋がり、とても勿体ない気がします。危機を危機として受け止めた上でどう生きていくか。何事も「無視」というものが最も卑劣で悲しい対応なのだと痛感するご時世です。年齢に関係なく、失敗を繰り返しながら、生きていくしかないのです。



さて、、

僕が主宰を勤める『寺ノ子屋』という表現塾があるのですが、"play.1"と銘打ち公演を行いました。"其の一" と銘打ち行う予定だった公演が緊急事態宣言により無期限延期になったのが昨年4月。それから約1年後に、メンバーも作風も一新しての公演上演となりました。タイトルは「落ちていく八月一日」。今回の公演を熱望してくれた樋口拓海・白石惇也の二人が発起人となり、出演者オーディションを行い、1ヶ月半の稽古期間を経て先日終演まで完走することができました。


【仕事ではできないことをやる】

それが寺ノ子屋を設立した理由の一つでした。規模や内容は二の次なんです。人を介したくないものってあるんです。それは驕りではないし完璧でもなく、楽しみであり喜びなのです。仕事の楽しみとは違う楽しみを。そして寺ノ子屋で得たものを仕事で活かすことが目的。原点回帰みたいなものです。"塾"という場所にしているのも、自分も含めて学んでいきたいという思いからです。

好きなこと、興味があること、追求したいと思うことに不正解はないと思います。それがコロナ禍で確信になった事の一つです。


寺ノ子屋では未完成のものも世に出します。しかしそこには見る人には分からない程の進化があります。その進化の可能性を追いたくなるのも人の心理であり、それこそ好意や興味であり、追求心に繋がるのだと思います。
そういう意味でも、寺ノ子屋の作品では経験を問わず出演者を募集しますし、それぞれが大きな役や任務を担います。きっと仕事だとそんなポジションは貰えないと思います。しかし表現者としてその大役をやる事に意味があり、ここでしか学べないものがあると思います。

僕もまだまだ学びの途中です。しかし学んだことを共有して、自分がいるフィールドや仕事環境に興味を持ってくれる人たちを見つけていきたいと思います。



寺ノ子屋 play.1 
「落ちていく八月一日」

集まってくれた彼らと、これからも進んでいきます。それが寺ノ子屋です。会社でもないし劇団でもありませんが、塾生たちには愛情しかありません。彼らの未来に少しでも可能性を感じたら、是非とも応援をお願い致します。


寺ノ子屋はワークショップを通じて次回の構想を練り始めます。こちらも興味がある方は是非ともチェックお願い致します。


ご来場いただきありがとうございました。
応援していただきありがとうございました。
これからもどうぞご贔屓にお願い致します。



さてさて切り替えて仕事モード!撮影も頑張ります。そして同時にdynamizeプロデュース公演『Fight For F』のリハにも本格合流致。



『落ちていく八月一日』出演者の撮影に混じって、何気に撮ってもらっちゃいました。ビジュアル撮影は梅棒のしぇーねーこと飯野くん。また近々撮っていただきます。






正安寺悠造