このブログ、できれば2日に1度くらいは更新したいと思っているのだけれど、今週は忙しすぎた!

 

忙しい理由は、コロナ以来5年振りの出社(出勤)の日々ネガティブ

 

昨夜は残業があり、家に着いたのは20時頃。

お風呂に入り体力の限界で21時半にベッドへ。

 

翌日は6時起きで駅へ向かい、ついさっき通ったばかりな気がする駅の改札を通って、また1日が始まる。

 

『この生活、アレによく似ているな~』

 

と思ったアレとは、アレだ!

映画『果てしなきスカーレット』に描かれていた地獄めぐり滝汗

 

分離の『アバター』、統合の『果てしなきスカーレット』 映画の感想 | 言語化の実験場:福田カレンのブログ

 

悪いことばかりでは、もちろんない。

経済的には安定する。

 

老後に備えたい」という気持ちが強いなら、今地獄めぐりをすることで、老後は安泰だと感じることもできる(=言い聞かせることもできる)。

 

ただ、ですよ。

地獄めぐりは死んだ後にもできるびっくりマーク

生きている今、やる必要はあるのかびっくりマークびっくりマーク

 

何と言っても、地獄めぐりはクリエイティブではない。

毎日同じルーティンを繰り返すだけで、たいがいのことは済んでしまう。

 

通勤のルート然り、人間関係然り。

「○○さんはこういう性質の人だから、△△な感じで対応しておこう」みたいな。

 

同じ反応を繰りし・・・永遠にリピートし続け・・・・それはまさに地獄めぐりではないかーびっくりマークびっくりマーク

 

「生きて」いるはずの今、同じことを毎日繰り返すのは可能性の無駄遣いではないのか?

 

「私」という個人や、個別の身体や、個別の特徴や性質を持って生まれているからには、「私」なりの何かを表現したり、生み出したり、という経験をするのではないと全体に貢献していることにならないではないか。

 

でもでも。

でも、ね。

 

それを言うなら、生きながら地獄巡りをして、こんなふうに感じることがすでに、個別の経験をしていることなんだ。

 

つまりもう、全体に貢献できているんだ。

 

だから、要は何でもいいダッシュ 地獄巡りもおけ

 

「経験をしている」ことがすでに神聖。

経験というものじたいが神聖さそのもの。

 

だから私たちは、どうであろうと安心していていい。

どうだろうとなんだろうと、すべては神聖なのだから。

 

まさにこんな感じ、なのだけれども、

 

 

心の中は、

 

 

これはきっと、周りの人に伝播している。

 

こうして今日も平和が保たれるキラキラ

 

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