人間性を問うことは悪のカリスマや独裁者を生まない要点 | 白鳥と猫とわたし

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 長らくお笑い界の帝王のように君臨してきた彼が、性加害の疑惑を報じる記事を発端にスキャンダルは拡大し、メディア全体に騒動が広がっています。時代が変わったとか、コンプライアンスが厳しくなった環境の変化はあるでしょうが、彼の存在や物事の流れから、私たちが見落としてはならない要素があります。

 

 昔から、芸人というと突飛であり、より破天荒である方がさらに上位の存在となるかのようなとらえ方が浸透していたでしょう。ゆえに、目立つために、ある程度、逸脱した行為も厭わず、チキンレースをするように悪行をしても平然としていることが、価値があるように思われていた向きがあるかもしれません。

 

 それは一般の社会や常識からずれたもので、お笑い界で生き残り、上りつめるには、真逆にぎりぎりのところで生きることが宿命で、それが芸の肥やしとなり、自らを特別にすると思い込むところがあるでしょう。ときに、それは自縄自縛となり、行動がエスカレートすることがあります。

 

 世間一般の人も、どこか芸人の世界や生き方は別物として、多少は容認し、そのようなものと受けとめることが多かったでしょう。しかし、時代は変わり、芸能界にも常識や社会的な規範が求められるのは、おおやけの活動をする側として当然のことでしょう。

 

 一部では、厳しい社会とか窮屈な世の中という見方はあるかもしれません。けれども、やはり、おおやけの活動をして影響力を示すとすれば、その人物に人間性が問われる部分は必要でしょう。

 

 もし、ある能力に秀でた人物なり、運よく上りつめた人物が大きな影響を及ぼす存在になったとします。そして、多くの人が魅了されるなり、特別な存在としてとりたてるなどしたとき、盲目的にその人の行動を認めるならば、悪のカリスマや独裁者をつくることにつながりかねません。

 

 世の中で目立ち、特別な存在のようになった人物であっても、その人間性を問うことは、妥当でしょう。悪の権化か権威の怪物を生まないために、フィルターをかけることになるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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