大きな震災が起きたとき、現代では、多くの報道によって、離れた地域にいても、およその実態を知ることができます。大参事の模様を、映像によってリアルに受けとめるものです。目を疑うほどの事態に動転して、深い同情を覚えます。
被災者が直面する、厳しい現実は計り知れないわけですが、同じ国民として、多くの人が共感して心を傷めます。気持ちだけでも寄り添って、何か自分にできることはないかと考えるものです。
震災の発生後は、ほとんどのメディアが予定を変更して、一斉に現地の情報を伝えます。東日本大震災は未曾有の大参事だったわけですが、目に映るすべてが衝撃で、全国民がかたずをのんで見守るしかありませんでした。
何日にもわたって、あらゆるメディアが震災の状況を報道していましたが、それは、世の中全体に自粛する雰囲気を高めるものでした。ただ、そうした徹底した姿勢には、疑問を投げかける声があったのではなかったでしょうか。
自粛ムードが広がることで、国全体の経済活動が低下する懸念は指摘されたでしょう。また、心理面において、繰り返される痛ましい現場の映像が、実際に体験していない人の心まで痛めることが問題になりました。
デリケートな人や、特に子供など、悲惨な映像が胸に焼きついて、精神的に不安定になったりして、うつ症状をみとめることもあります。したがって、メディアなどが自粛一色のムードになることは、危惧すべき点があるのです。
今回の熊本を中心とした震災にあたって、前の経験から、極端な自粛ムードの報道に偏ってはいないかもしれません。それでも震災間もない時期のバラエティ番組は控えるなど、多少の配慮はあったのでしょう。
そうした自粛に対して、反対の意見を表明する著名人もいて、論争が起こっています。それぞれに考え方は異なってしかるべきですし、反対意見も自由に発言できる世の中でなければなりません。
もちろん、自粛に反論するといっても、被災者や被災地をかえりみないということにはなりません。また、個人の自粛行動を非難するというものではないでしょう。
自粛というように、本来、それは個人的で自発的な行為で、他者に強要するものでもされるものでもありません。国のどこかで大きな災害が起こったとき、現代では、報道によって状況を把握することができるので、多くの人が同情を寄せます。
自然に自粛のムードが広がるものです。けれど、人によって気持ちの度合いは違います。直接、関係のある人が被災したとか、被災地との関連性でも思い入れは異なるでしょう。
メディアにおいては、バランスを考えた報道のあり方が求められるでしょう。世の中に与える影響力を踏まえて、震災という重大な事象には、適切な配慮が必要です。けれど、一方的に、世の中全体に自粛ムードを強制するものになってはならないでしょう。
昨今の日本では、大震災が起こる頻度が高くなっているように思われます。メディアの発達によって、被災者だけでなく、国民全体で深刻に受けとめる機会が増えているとも言えるかもしれません。
日本はもともと、自然災害の多い国と言われます。かつて、情報が乏しい時代は、地域性が強く、経済的にも発展途上で、大災害に見舞われるたび、地元が自力で復興せざるを得ないところが大きかったでしょう。
たとえば、新聞媒体しかない時代であったら、事実は把握しても、現在のように、全国から多くの支援が寄せられるということはなかったでしょう。余裕のない時代であったかもしれませんが、他地域の人がリアルに震災の状況を受けとめることがなかったからということもあります。
特にゆかりがない地域の人は、気の毒に思うことはあっても、割り切って受けとめるしかなかったでしょう。自らもまた被災するかもしれないと、どこかに覚悟を持って、平常の生活を営んでいたのではないでしょうか。
けれども、日本中のどこかで震災があったとして、他の地域が活力を持って社会を支えるというかたちがあって、国全体が保たれてきたのでしょう。目に見えない下支えがあって、被災地も困難を乗り越えて、発展の波に戻ることができたということではないでしょうか。
もちろん、時代は大きく変わりました。否が応もなく、多くの情報にふれることで、心を傷める機会は多くなったかもしれません。被災地の大変な状況を知って、見て見ぬふりはできないと思う人が多いでしょう。自分でも何かしたいと、いても立ってもいられないと考える人も少なくありません。
大災害を目の当たりにして、人それぞれに、深く感じるところがあるでしょう。不安にかられる人は多いでしょう。それは、自分が直面するかもしれないという恐怖を募らせるからかもしれません。内観して、人生観や死生観をめぐらす人もいるかもしれません。
ボランティアとか、行動に起こさずにいられないという人もいるでしょう。なかには、緊急時だからこそ活力がみなぎるということもあります。
危機に直面することで、人と人との助けあいが心にしみるとか、真に人間力を発揮する機会が与えられるということもあるものです。それは、ときに極限にあって味わうことができる、尊い精神かもしれません。
本題に戻って、自粛とは、やはり個人の気持ちにともなう姿勢や、行動というものです。自粛の是非とか問うたぐいのものではないでしょう。しかしながら、ある場所で起きた大災害をボーダーレスで知る世の中にあって、被災者でない人にとっても、意味深い経験とすることができるのではないでしょうか。
ただ大災害のニュースに動揺して、不安をかきたてるだけでは、情報に翻弄され、身をやつすばかりです。かならずしも、現地に赴いてボランティア活動に尽力することだけが、被災者の苦悩に寄り添うことではありません。
被災地に心を馳せながら、あらためて、滞りない日常が送れることに感謝して、自分の目の前のことに向きあいます。そして、元気と活力を高めて、日々を過ごすことが、ひいては傷を負った地域の人たちをも癒すことにつながるのではないでしょうか。
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