子どもをネタに稼いでいる親がネタにしないでと訴えてきた子どもに対して「私の子に生まれた宿命だ」と一蹴した話。そう、それさえもネタにする根性。


そこから転じて輪るピングドラムの罪と罰。

「僕たちは始まりからすべて罰だったんだ」



子どもは親を選べない。

生まれたときから罰を受けている。


私が母親じゃなかったら父親と過ごせていたかもしれない。

私が母親じゃなかったら裕福な家庭で育っていたかもしれない。

私が美人だったら、私が健康だったら、私が常識人だったら、私が社交的だったら、

息子はいまよりずっとずっとしあわせに育てた。


私が母親なせいで見られない景色がある。


いつだって申し訳ないと思っている。


ニキビ出来やすかったり化膿しやすいのは私の遺伝子のせい。

怒りっぽいかったり思い込みが激しいのは父親の遺伝子のせい。

ADHDな部分はたぶんふたりからの遺伝。

これから先、私の膠原病やら父親のうつ病やら遺伝したらどうしよう。

隔世遺伝で前立腺がんになったらどうしよう。


私が母親でごめんなさい。

本当に申し訳ない。



息子の小学校六年間で出来なかったことがあって、

お母さんがしっかりしてたら出来たかもって落ち込んでたら息子に言われた。


「でもさー、はむのお母さん出来るのはお母さんくらいだよ?」


そしたら、お母さんの息子出来るのははむくらいじゃん。


「適材適所。バランスいいんでない?」



はむ、大好き。

優しい子に育ってくれてありがとう。


そのうち、生まれた環境を恨んで盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎の窓ガラス壊してまわったりするかもしれないけどね。

まあそんときは私も頑張って向き合うよ。


しあわせになって欲しい。

しあわせにしたい。

しあわせになろう。



ところで、


君はいつまで一人称はむなんだい?