“覚えている” はプレッシャー
じいちゃんにとって
「知っている」
「覚えている」
ことを前提に話されるのは
とてもプレッシャーではないか?
と最近思う。
毎日一緒にいる私のことも
おねえちゃん
おねえさん
かあさん
ばあさん
とクルクル変わる
時々
DECOちゃんと言われるけど
それは本当にまれだ
私の場合は37年間離れて住んでいたから
介護を始めた時にはすでに忘れていることが
当たり前になっていた
でも最近は
ずっと一緒に住んでいた家族のことも
忘れている時があるくらいなのだ
だから
時々来る人
まして半年以上も会っていない人のことは
本当に覚えていない
その状態でいきなり
「じいちゃんの好きな○○さん」
と言われてしまうと
じいちゃんは混乱するみたいだ
元々、愛想がいいじいちゃんは
その人の前ではニコニコしながら対応する
でも…
帰った後で「あれは誰だ」
ということが、ほとんどになった
だから
「じいちゃんの好きな○○」と言われてしまうと
覚えていない自分を責めてしまう
覚えていない自分はダメだ
覚えられない自分が悪い
俺はバカだから…
そう言いながら
自分の頭を叩いてしまう
「じいちゃんの娘の○○の旦那さん」
「親戚のどこそこの○○さん」
「同級生だった○○さん」
はOKみたい
でも「親しい間柄」であることを言われてしまうと
じいちゃんは覚えていないことにショックを受けてしまう
認知症の状態やその日によっても違う
その人の性格によっても違う
一概には言えないけど
かつてどんなに仲が良くても
そのことを言葉にして伝えてしまうと
「覚えていないこと」が本人はショックのよう
じいちゃんには
関係性と名前だけを
サラッと伝えてあげて欲しいと思う
今日この頃なのであります。。。
紫陽花の花が咲き始めました