むずかしい単語は置いといて


最近


多様性、とか

ワンネス、とか

個の時代、とか

ジェンダーレス、とか


いろいろ言われていますが…



分かりやすく言うと

「オールオッケーな世界」

という解釈になんとなく行き着いた爆笑



認めることと、好きになることは別


以前の私は


みんな

それぞれに素晴らしくて

人はそのままで完全で完璧で…


みたいな言葉が

本当にウソっぽくて嫌いだった 笑い泣き




それを認めちゃうと


それって、成長しなくていいってこと?

嫌だって感情を持つ自分が変ってこと?

嫌いだと思う人まで好きにならなきゃいけない?

完全で完璧なのに、欠点が魅力って何?


みたいな消化不良があった



トマトの法則、たぶん(笑)🍅


そんな私の消化不良を

わかりやすい例え話に置き換えてみた


それはモゲさんの

トマトの法則ではなかろうか🍅

※勝手に命名してみました~ 音譜



モゲさんはトマトが嫌い

できれば見たくないレベル

(注:お話しを聞いた当時)


でもトマトを

この世から排除しようと思わない


トマトを好きな人は世の中にたくさんいるし

イタリア料理には欠かせない存在でもある


そしてトマトは料理人によって

様々な形に進化していく



トマトは

トマトを好きな人の所へ行けば

愛されるし感謝される



世の中にトマトを好きな人がたくさんいても

それがモゲさんがトマトを好きになる

理由にはならないし


体にいいからといって

無理して食べようとも思わない



そうおっしゃったことを思い出したキラキラ



これ

人間関係も同じだなって思う



トマトはトマトで完全で完璧

でも世の中の人全てが好物ではない


トマトを嫌いな人がいても

それはトマトのせいじゃない


トマトを嫌いな人が悪いワケでもない


トマトを嫌いな人が

体に良いからと無理に食べようとすると

ますます嫌いになるだろうし

稀に克服することもあるw


トマトを好きなフリをしてしまうと

他人は好意でトマトを振る舞うだろうし

本人はその度に苦痛になる 笑い泣き


でも

本当はトマトが嫌いだから

振る舞ってくれた人を嫌いになったりする

めちゃめちゃ自分勝手 滝汗



そんなメンドクサイことにならないためにも


嫌いなこと(人)を

無理に好きにならなくてもいい


でも

無理に排除する必要もない


嫌いなら

ひっそりと距離を置けばいいだけ



すごくシンプル 爆笑



我が家のトマトは元気に育ってます