オヤジどのの介護のために
昨年末に地元・静岡へ戻り
ブログを書こうと思えるくらいに
ようやく生活のリズムが整ってきました。
昨年10月1日に母が亡くなり
遺された父の介護をするはずの兄は
10月中旬に長期入院
さぁ、どうする!
となって
兄の入院をきっかけに
田舎に帰ることをきめたのです。
決めるまでには
当たり前だけど
いろいろな心の葛藤や抵抗があって
田舎に帰ることって
私の今までの人生を否定するような
感覚に襲われたし
仕事どうする?
車の運転もできないから、買い物もどうする?
そもそも
田舎で暮らすことが果たしてできるのか?
めちゃくちゃネガティブなことばかりに
フォーカスしていたし
「なんで私が」とも思ったよ。
でも
最終的には
「オヤジどのと毎日、富士山を見ながら散歩する人生もいいかなぁ」
って思えた時に、世界が変わった。
どうせ家賃かからないから
食費・光熱費はオヤジどのに支払いを任せて
あとは自分の支払い分を稼げばいっかぁ
買い物は生協の宅配もあるし
スクーターの運転ならなんとかなるから
身近な移動はそれでできそうだし
なんならタクシーを使っても
車の維持費ほどは
(保険・税金・ガソリン代・車のローンなど)
タクシー代はかからないだろうなぁ~、と。
何より
今、オヤジどのの介護をしなかったら
オヤジどのが死んだ時に絶対後悔する。
母の介護をほとんどやらなかったことを
母が亡くなった時にめちゃめちゃ後悔した。
その後悔は今でもあって
実家を掃除すればするほど
両親がどんな生活をしていたのかがわかって
せめて月に1度くらい戻ってくればよかった
母親からのSOSにちゃんと耳を傾ければよかった
罪悪感にも似た思いが込み上げてくる。
もうそんな思いはしたくない。
はっきり言えば、自己満足。
自分の気持ちを満たすために
オヤジどのの介護をする。
それでいい。
自分で
「介護する」「介護したい」
って気持ちじゃなければ
どこかで「私さえ我慢すれば」
という自己犠牲が付きまとったと思う。
そんな気持ちで介護するくらいなら
暴論だけど、施設に面倒をみてもらった方が
オヤジどのは幸せだ。
今は
毎日ではないけど
富士山を見ながら
オヤジどのとの散歩は続いている。
大変なこともあるけど
結構おだやかで笑ってる時間も多い。
たまーに、わがまますぎて
「本っ当~~に、クソじじぃだよねっ」
って本人に向かって言うことはあるけどね