どうもこんにちは、たよちです。
自分自身が成長する時って、実体験から(主に失敗)から学ぶ事って多い方は多数いらっしゃると思いますし、自己啓発書なんかでもそんな事が書いてあったよーな気がします(勘違いでしたらすいません)
しかしながら、これは私自身も自戒している事なんですけど、実体験というフィルターを通して何かを学ぶ事って、実は己のエゴ(わがまま)なんじゃなかろうかと思ったりする訳です。
これ何故かって言うと、先に結論から言ってしまうと
『実体験というフィルターを通して自身が学習して納得しなければ、その物事に対して尊重の意が芽生えないから』
からです。
例えばですよ?ニートって皆さんどう思いますか?恐らく大半の非ニートである方が『許せない』とかって感情をお持ちなんだろうと感じています(※違ったらすいません)
だけど、私はニートの皆さんの存在は許していますし、恐らくニートを許さないって思ってる方は好きでも無い仕事を朝から晩まで生活の為だー家族の為だーとかって心の中で嘆きながらヒイヒイ働いている、というか働かされている方がけっこう多いのでは?と勘ぐったりします。
でもですよ?ニートの皆さんだって、大多数の方は『働きたいんだけど、どうしても心と体が付いていけないし、なかなか社会に適応出来ない』という現実に随分悩まされてると思うんですね。
まあ少数で『ニート最強だぜ!ww』みたいな事を思っている方もいらっしゃるかも知れませんけど、それはそれでそういった人格形成をしてしまったのか、はたまた現実をよく俯瞰視出来ていないのか?といった具合なんですが、それはそれで『ああなるほどな』と受け止めている次第です。
というか、そもそもの話ですよ?何かに対して不平不満罵ったりして負のエネルギーを外部の世界に解き放つ人って、私が過去様々な方を見た限りなんですが、ロクな事が舞い込んで来ない印象にありますね。
つまりは、ニートの皆様方に対して文句をブーブー言えば言うほど、言ってるご自身を取り巻く環境もより苦しくなるという、失礼な言い方かも知れませんが因果応報というか滑稽な顛末が待ち構えている訳です。
だからこそ、私は常々自分に言い聞かせているのですが
『今私を取り巻く環境で発生しているありとあらゆる事象は、世の中にとってのベストルート(摂理が保たれている)だ』
という認識で居ます。
つまりは、ニートの方がたくさんいるのも、中小企業の経営者が利益をたくさん占有したがるのも、北朝鮮があらぬ方向に進んでいる事も、バブルが崩壊して不景気まっしぐらである事も、全ては世の中にとってベストである訳です。
そしてそういう認識があるからこそ、私は全ての物事に対して尊重するというポリシーを持っている訳でして、それに刃向う事は即ち己のエゴなのでは無いか?と自責の念に駆られる訳なのです。
とは言いつつも、私もまだまだ愚かすぎる人間ではございまして、実体験から『はっ!そういう事だったのか!』と気付き、学ぶ事はたくさんあります。また、各種禁欲生活のお陰で落ち着いてきたとは思うのですが、まだまだ負の方向への感情の乱れというのはやっぱり発生してしまいます。
私自身こういう状況ではありますが、日々一歩ずつ確実に心の成長をして行きたいモノだと思う次第です。