最近の子供は「我慢が出来ない」傾向が強いと聞く。
まぁ、確かにキレやすかったり、すぐ感情的になってしまい、それが事件や事故に繋がるケースは増えているように思える。
では、昔の子供は我慢強かったのか?
おそらく、感情的になったり、ある程度のキレやすさみたいなものは、昔の子供も現在と同じく持っていたものではないだろうか。
ただ、確かに我慢を強いられる場面は多々あったと思う。
子供に限らず、大人も同様に。
大晦日をテーマパークで過ごし、ネカフェで迎えた新年。
早朝の街には、新年初売りを目指して開店前から列を作る人達がいた。
自分が子供の頃、大晦日のデパートは夕方4時頃には閉店し、新年の初売りは1月4日からだった。
正月にかけて貰ったお年玉を、子供達は握り締め、なにを買おうか!?とどきどきワクワクしながら初売りを待っていたと思う。
正月の三が日、正直いってどこも営業なんてしていないから、出掛けるとすれば、せいぜい近所の神社仏閣へ初詣。
子供は子供同士で集まって遊び、年始の挨拶が終われば、こたつに入ってゴロゴロしていた大人が多かった気がする。
365日、24時間、なにかしらの店が営業していることは、客としての立場から見れば実に便利で喜ばしいことだ。
4日の初売りが、3日になり2日になり、今や1日から。
大晦日も営業して、明けて1日から初売り。
どこかゆったり、まったりした風雅な正月はすっかり姿を消して、お年玉を貰った子供達や、福袋目当ての大人達で街は賑わう。
子供に限らず、大人も我慢が出来ない状況を作り出している気がするのは気の所為だろうか。
なにもしないこと、出来ないことが苦痛であったり、退屈としか捉えられなくなっている時点で「ゆとり」「余裕」も消えてしまう。
正月のテレビは案外つまらないものが多いけれど、とりあえず こたつで家族がゴロゴロしながら「あ~でもない」「こ~でもない」と会話をする程度のネタは提供してくれる。
テレビがつまらないなら、多少寒くても、表を駆け回り遊ぶ選択肢もあった。
先日、「正月に失敗した」と思ったことはなにか?とのアンケートに「寝正月だった」「だらだら何もしないまま正月が終わってしまった」等の回答が上位にあったのだが、寝正月、ダラダラ正月で上等ではないのだろうか…と自分は思う。
「休みだからどこかへ」「休みだからなにかを」は、懸命に用事を自分に課そうとしているだけで、本当にソレをなさなければ有意義ではないのだろうか。
人は割と慌しく忙しく過ごしている時の時間に対する感覚が甘くなる。
あっというまに時間が過ぎて「あ、もうこんな時間か」ということになるワケだが、それは本当になすべき事や仕事、学業に伴って起これば良い現象であって、常にそうある必要はない。
逆に、暇を持て余して身動きが取れない時は、案外、頭の中身だけは高速に回り始めたりもする。
つまらない事しか考えないから、そんな時間は必要ない。と思う人もいるかもしれないが、人には思考を反芻する時間も必要だ。
それが想像の反芻であっても、反省や感傷の反芻であっても構わないと思う。
改めて自分の思考や記憶にアクセスすると、そこから見えてくる「なにか」に出会える可能性は多いにある。
喧嘩っ早い自分、我慢の足りない自分、心のせまい自分……etc
客観的に自分を見つめて、少し考えて、湧き上がってくる疑問や考えがあれば、それをまた反芻する。
昔の正月は、いや正月に限らず、こういった時間をたっぷり与えてくれていた気がするのだ。
米発の金融不安から未曾有の金融危機が発生し、日本も諸に影響を受けている。
これまで、ほぼ年中無休路線を辿ってきたデパート等の商業施設は、人件費の削減や光熱費の削減を絡め、定休日や臨時休業日を増やそうとしているらしい。
客の立場からすると、「え、今日は定休日だったんだ」と不便を被るかもしれないが、大規模な356日、24時間のコンビニ営業は、便利の反面、簡単に欲求を満たして我慢をしないで済むことに人を馴らす弊害を生んでいる。
皆が働くから、結局、休みたい人も働かざるを得ない環境も作り出している。
かつての日本にもどることは難しいだろうが、必要以上のサービスを提供することはそろそろ止めても良い時期にきているのではないだろうか。
まぁ、確かにキレやすかったり、すぐ感情的になってしまい、それが事件や事故に繋がるケースは増えているように思える。
では、昔の子供は我慢強かったのか?
おそらく、感情的になったり、ある程度のキレやすさみたいなものは、昔の子供も現在と同じく持っていたものではないだろうか。
ただ、確かに我慢を強いられる場面は多々あったと思う。
子供に限らず、大人も同様に。
大晦日をテーマパークで過ごし、ネカフェで迎えた新年。
早朝の街には、新年初売りを目指して開店前から列を作る人達がいた。
自分が子供の頃、大晦日のデパートは夕方4時頃には閉店し、新年の初売りは1月4日からだった。
正月にかけて貰ったお年玉を、子供達は握り締め、なにを買おうか!?とどきどきワクワクしながら初売りを待っていたと思う。
正月の三が日、正直いってどこも営業なんてしていないから、出掛けるとすれば、せいぜい近所の神社仏閣へ初詣。
子供は子供同士で集まって遊び、年始の挨拶が終われば、こたつに入ってゴロゴロしていた大人が多かった気がする。
365日、24時間、なにかしらの店が営業していることは、客としての立場から見れば実に便利で喜ばしいことだ。
4日の初売りが、3日になり2日になり、今や1日から。
大晦日も営業して、明けて1日から初売り。
どこかゆったり、まったりした風雅な正月はすっかり姿を消して、お年玉を貰った子供達や、福袋目当ての大人達で街は賑わう。
子供に限らず、大人も我慢が出来ない状況を作り出している気がするのは気の所為だろうか。
なにもしないこと、出来ないことが苦痛であったり、退屈としか捉えられなくなっている時点で「ゆとり」「余裕」も消えてしまう。
正月のテレビは案外つまらないものが多いけれど、とりあえず こたつで家族がゴロゴロしながら「あ~でもない」「こ~でもない」と会話をする程度のネタは提供してくれる。
テレビがつまらないなら、多少寒くても、表を駆け回り遊ぶ選択肢もあった。
先日、「正月に失敗した」と思ったことはなにか?とのアンケートに「寝正月だった」「だらだら何もしないまま正月が終わってしまった」等の回答が上位にあったのだが、寝正月、ダラダラ正月で上等ではないのだろうか…と自分は思う。
「休みだからどこかへ」「休みだからなにかを」は、懸命に用事を自分に課そうとしているだけで、本当にソレをなさなければ有意義ではないのだろうか。
人は割と慌しく忙しく過ごしている時の時間に対する感覚が甘くなる。
あっというまに時間が過ぎて「あ、もうこんな時間か」ということになるワケだが、それは本当になすべき事や仕事、学業に伴って起これば良い現象であって、常にそうある必要はない。
逆に、暇を持て余して身動きが取れない時は、案外、頭の中身だけは高速に回り始めたりもする。
つまらない事しか考えないから、そんな時間は必要ない。と思う人もいるかもしれないが、人には思考を反芻する時間も必要だ。
それが想像の反芻であっても、反省や感傷の反芻であっても構わないと思う。
改めて自分の思考や記憶にアクセスすると、そこから見えてくる「なにか」に出会える可能性は多いにある。
喧嘩っ早い自分、我慢の足りない自分、心のせまい自分……etc
客観的に自分を見つめて、少し考えて、湧き上がってくる疑問や考えがあれば、それをまた反芻する。
昔の正月は、いや正月に限らず、こういった時間をたっぷり与えてくれていた気がするのだ。
米発の金融不安から未曾有の金融危機が発生し、日本も諸に影響を受けている。
これまで、ほぼ年中無休路線を辿ってきたデパート等の商業施設は、人件費の削減や光熱費の削減を絡め、定休日や臨時休業日を増やそうとしているらしい。
客の立場からすると、「え、今日は定休日だったんだ」と不便を被るかもしれないが、大規模な356日、24時間のコンビニ営業は、便利の反面、簡単に欲求を満たして我慢をしないで済むことに人を馴らす弊害を生んでいる。
皆が働くから、結局、休みたい人も働かざるを得ない環境も作り出している。
かつての日本にもどることは難しいだろうが、必要以上のサービスを提供することはそろそろ止めても良い時期にきているのではないだろうか。