正月をやや過ぎた頃、スーパーやコンビニで『恵方巻』の予約受付ポスターや恵方巻の巨大なディスプレイを見かけては「そうか、もうすぐ節分だ」と思っていたものだが、2月がいよいよ近づくと今度はバレンタインデー商戦が激化するせいか、恵方巻関係のディスプレイは目立たなくなってくる。

常に「先を、先を…」とめまぐるしく陳列やディスプレイが変化するのもどうか?と思えてくる現象のひとつだ。

我が家では、撒いた豆の処理が大変(面倒という言い方もある)なんで、もう相当前から節分に豆を撒く習慣がないが、スーパーなどで豆撒き用の豆(鬼の面がついたもの)を見かけると「きちんと豆撒きする家もあるんだろうな」と思っていた。

恵方巻を食べる習慣がない関東で、恵方巻を最初にコンビニ(セブンイレブン)が売り出したのは1998年のことだったそうだが、購買者の中で節分に恵方巻の意識がある程度構築されるには2,3年の時間を要したようだ。
その後、ローソンやファミリーマートなどが全国販売に乗り出し、現在は大型スーパーはもとより、その辺の小さなストアでも節分に恵方巻を販売するようになっている。


セブンイレブンで恵方巻が発売された当時、太巻寿司が単に好きなだけの理由で自分は恵方巻を購入していた。
節分の一週間位前から店頭に並ぶ恵方巻を購入しては食べ、取り合えず節分の日だけは「まるかぶり」に習って黙々と食べる~という所作を守ってみたりして…(笑)

セブンイレブンが全国展開をしてから、他のコンビニチェーンが全国販売へ乗り出すまでに2,3年の時間を要した、とは書いたが、一時的なブームを除けば、ある特定の食習慣や食文化が節句に関連して根付くことを考えると、2,3年はかなりの短期間といえるのではないだろうか。


恵方巻が全国的に普及し、節分の風習として急速に受け入れられた背景には、勿論、マスメディアや販売する側の必死のアピールも関係はしているだろう。
事実、本来の恵方巻からかけ離れた商品が便乗販売されていたりして、「節分になぜ恵方巻を食べるのか」といった意味合いが曖昧になっている部分もでてきている。

恵方巻は、節分の夜にその年の吉方(恵方は歳徳神の在する方向をいう)に向かい、願いを込めて一心不乱に太巻きを食べる(その際、邪念が入らないように目を閉じておくらし)風習で、太巻きの具は「七福神」に因んだものといわれている(かんぴょう・しいたけ・たて巻き(玉子焼)・きゅうり・うなぎ(あなごもアリ?)でんぶ等)
また、太巻きの見た目が『鬼の金棒』に似ていると見立てて、豆撒きで追い払われた鬼が落とした金棒を食べれば(実際に金棒は食べれないかもしれないが)無病息災、商売繁盛などのご利益があるともいわれているようだ。


従来の風習に含まれる意味を得ようとすると、レタス巻や海鮮巻の太巻きは意味を失うし、まず豆撒きで鬼を追い出さないことには、鬼の金棒も手に入れることが出来ない。
多くの祭事が形骸化され、本来の意味もわからぬまま行われているのと同じ様に、「恵方巻」もまたマスメディアや販売業者側の都合により、単なる販売促進や売上げ向上の為の季節イベントになってしまうのかもしれない。

…とはいえ、やはり豆を撒くと後片付けが大変なのである…。
小さなネットに入れたり、小袋に入ったまま投げては駄目なのだろうか?(^^;)