景気は回復しつつある…とTVやニュースで耳にするにつけ「違うだろ」と思ってしまうのは自分だけだろうか?

首都圏でも特に東京に生活圏がある人達は「景気が良くなってきている」と感じる瞬間はあるのかもしれないが、逆に地方に住まう友人知人の話を聞くと「景気は良くなっているとは思えない」と口を揃えて言われてしまう。

つまりは、人や物の流通が大きい都市部でのみ「景気の回復」を感じているということだ。

景気が回復している理由として様々な項目が挙げられてはいるが、そのひとつにある「株式市場の動向」をとっても、「株価」が出来高が良いから「景気回復」と直結させてしまうのは、あまりにも短絡的過ぎるように感じる。

バブルが弾けた後、独身者でも家族持ちでも収入が一気に激減したり、リストラに遭って大変な時期を過ごした人は多い筈だ。
残業手当がカットされ、サービス残業の時間は増える。
通常の仕事とは別に副業でなんとか家計を支えよう、なんてオヤジが増えた。

自分の職場はそもそも「残業」の時間に労組が厳しい所だったから、残業手当がカットされたりサービス残業が増えるなんてことはなかったけれど、やはりリストラは行われ、部署の再編や廃止といったことが行われていた事を思い出す。

「バブルの頃は良かった」なんて言う人も周囲にはいたが、バブル真っ只中で膨らんでいなかった自分にとって、高額商品が飛ぶように売れるとか、贅沢三昧をして金銭感覚のおかしかった時代のどこが良かったのだろうか?と思えるだけ。

バブル後から現在に至るまで、その価値観は大して変化していない。

最近、景気の回復と共に「バブルの再来」を耳にするが、前回のバブルで弾けたり、なんらかの影響を被った人達は、またバブルの時代を迎えたいのだろうか?
仮に『バブル再来』があったとして、その後にくる「バブル崩壊」のことは考えたりしないのだろうか?

二度同じ轍は踏まない、と思っているのか、それとも以前のバブル後のことは忘れてしまったのだろうか?

人間は忘れる生き物だ。完全に記憶から消え去っているわけではないだろうが、嫌なことはそれとなく記憶の中で、時間の経過と共に薄れ、楽しかったことや幸せだったことばかりが色を濃くする。

11年前の阪神大震災で自分は友人の一人を失った。
1月17日は友人の命日であるにも関わらず、毎年そのことを思い出すのはTVやニュースで「阪神大震災から●年」といった言葉を耳にした時だ。
友人の事を忘れてしまったわけではないのに、年月が経てば経つほど「そうか、もう11年経ったのか」と思ってしまう自分を同時に戒める日でもある。

これが親兄弟や、もっと身近な人の命日記念日であれば違うのかもしれない、とは思うが、沢山の人が災害で命を落とした重い事実すら、時間の経過と共に記憶の中で曖昧になってしまうのは、それが人間の性だとしても悲しいことである。

それに、株高=景気の回復 と結び付けられることが多いようだが、それもどうなのか?と思える。

以前のバブルでは、まだ個人にインターネットやパソコンが普及する前で、株式投資を個人で行う人達は現在の個人投資家とは性質が違っていたと思う。

俗に金持ちと呼ばれる人達の資産運用が多かった以前の形態とは異なり、現在は海外の個人投資家も含め、割と一般家庭で「ちょっと株で設けたい」レベルの個人投資が増えている。

小額の売買でも「チリも積もれば」で、出来高は大きくなる。
しかしながら、有能なトレーダーが大きな株を右へ左へと売買するのとは異なり、いかんせん「小銭儲けが目的」の個人投資家達は、正直言って一般人だ。

事実か噂かもわからないネタに右往左往する日本人の性質を考えると、好調とはいえ足場が堅牢ではないことを常に頭の片隅に置いておくべきではないだろうか。
それに加え、「簡単に金儲け出来る」というワードに弱い性質も改善する方法を考えなければならないのではないだろうか…(--;

現在、東証は全銘柄の売買停止状態である…(14時40分~)