蔑んだ心で見てしまう。汚いと感じる。これが流行るんだ。軽く町興しできるくらいに。なにが面白いのか理解出来ないのは時代に取り残されたのかな。不快な人間のパフォーマンスはただただ不快だね(小泉構文)
中身の密度低い感じが受け付けられず、大抵共感しがたくてそれらを好きと言われるのもほんの少し嫌悪ある。成功しているということ以外に良いところあるんか?
13年来のインキャの居処Twitterもとうとう終焉。知らないひとのワードチョイスにくすりとしたり、解像度高いライフハックが知れるくらいまでが丁度良かった。
それが有名な発信者たちの薄っぺらな誹謗し合う様をオススメしてくれるようになっちまって、SNSにまでストレスを感じては本末転倒というか、本来息抜きのような場所ではないんかと、勝手に嫌な気持ちにさせられたわ。
人体改造とかバチバチのピアスもタトゥーも大好きだけど、考え無しに二番煎じが如くやるのと取捨選択して自分を造り上げてるひとは違うんよ。直感で天才的センスのひとも居るかもしらんが、結局、美として目に飛び込むのは造り上げられたひとなんだよな。それらはやっぱり内から溢れるものありきで、魅力ってこういう感度でしか測れないのだと痛感する。言語化しがたくて困る。
わたしは騙されない。酸素濃度低くなってしまったSNSから身を引きたい。推しが居なければアンインストール出来たのに!
オススメ欄非表示にできないかな。このまま推し摂取以外はスレッズに移行していく予定。ほんと、季節の変わり目はダメだ。なににも余裕がない。誰も匿えない、自分の世話すらできないから。やさしさを殆ど失っている。機械的な毎日が苦痛でならない、酒飲んで吐いてもいつもの人間臭さには酔えずただ後悔しかしなかった。美しいものだけに触れたい。何も気に留めない時間がほしい。部屋がすぐ荒れる、これもまたストレス。スイッチ入れて掃除に没頭したい。お金は山ほどほしいし、誰にも気を使いたくない。ああ。