わりと本日、わたくしごとをいろいろ書きます。
6月の終わりに近くの神社に茅の輪くぐりに行きました。
神社の中に設置された縄でできた輪っかの中をある礼儀をもってくぐります。
くぐることによって罪やけがれをとりのぞき、これからの無病息災を願う、というもののようです。
こちらのサイトにわかりやすく書かれています。 http://sk-imedia.com/chinowakuguri-260.html
行った時におともだちと「もうこれからは悪いことは起こらないよね」なんて話を笑ってしていました。
話は離れて。
占いにおみえになるお客さんはわたしにとっての鏡だと感じることはとても多いです。
もろ人間関係において同じ悩みを抱えていたり、人生の流れにおいてわりと似た地点にいらっしゃるのかも…などということ。
詳しくは書けませんが、
ここしばらく「思い切って全部生活をきりかえて◯◯したい」というご相談を受けることが多かった気がします。
例えばわたしがお友達だったら普通に「それ大丈夫?」と心配をこめて尋ねるでしょう。
(もちろん占いとしてのセッション中でも、その辺りについて触れることはあります)
だけれどわたしがやっているのはお仕事としての占いで、だから占いを元にお答えしていくと、大概「GO」が出るんです。
それはタロットだけで占う時もありますし、西洋占星術や手相を交えてお話することもどちらもあります。
わたしとしてはそれを覆して個人として「NO」をお伝えすることはできません。
しばらく強い印象が残っていました。
お客さんに対してはあくまでお客さんのこととして考えていたはずでした。
だけれど、今、わたし自身に対しても近い状況が巡ってきています。
個人としてはもちろん悩みます。
変動がいろいろ同時に起こるので振り回されもするし、なにをどうしたらよいのかわからない、という感じもあります。
簡単には落ち着かないのかも、とは思います。
ただ、自分の状況においていくつも同時に変更が起こってくるということは、明らかに自分自身が変化の時なのだろうということはしっかり感じます。
その変動、先が見えなくてとてもこわい、とは思うけれど、
それがわたしにとって悪いことだとは、なぜか思えないんです。
西洋占星術の世界では土星という管理や試練の星が少し前から逆行して射手座から蠍座に戻ったことが話題になっています。
土星というのは苦手意識なども表しますが、基本は「絞って固める」という意味です。
「減らして固める」でも。
蠍座というのは一蓮托生のサイン。
本当に必要な大きなものをひとつだけ。
それを絞って固めていく時。
それは9月まで続きます。
(この間、個人セッションの帰りに歩いた新宿の夜景。個人セッションの時間も含めてとてもしあわせな時間でした。)
本日の夜も占いはあります。
雨、あがりましたらどうぞ。お待ちしています。