幸子です。

5歳娘と2歳息子のことや
暮らしのなかで思ったことを書いています。

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いつもありがとうございます。






昨日書いた病んでます発言。


原因はやっぱりざっくり書くと
コロナ自粛疲れかなチュー



3〜5月まで休園で日中ワンオペがんばってて

普通に考えたら、通常時より絶対私
疲れがたまってたんだよね。



でも

「大地震とかに比べれば色々恵まれてる」
って考えや

子どもが2人とも小学生未満で
2人のコロナストレスは
家で楽しめればそこまでではなさそうで
よかった、宿題の必要とかもない年齢で
よかったって考えや

送り迎えの時間の縛りがなくて
かえって楽な面もあるなと思ったりとか

夫が在宅勤務で
睡眠時間が増えたり
ワンオペ時間が減ったりで
かえって幸せと気付いたりとかで



それらは嘘ではないんだけど、でも



思考のなかの比較論での
「意外といけてる」を見過ぎで

無意識にたまってるであろう疲れのことを
考えなさすぎた。



そのせいで

あれ?私、けっこう疲れてるかも?って
なんとなく思ってからも

その大きさや危機感に気づくのが
うっかりしてて
かなり遅れたあせる



そんなところがありました。



5月末の緊急宣言解除あたりで
感じていたのは

「がんばったー」

「なんとかやってきたし
かえって幸せとか楽しめてるとか
思ったのも事実だけど、だとしても
色々、この生活は5月末で限界だったな」

という気持ち。



あと
夫の毎日在宅勤務は5月末でなく
6月末まで続いて、

当初は安心したしありがたがったのだけど

「うちの場合、これまでは
「息が詰まるから早く会社行って」
どころか
「毎日在宅でありがたい」だったのが、
ここにきて、
「そろそろ週1.2日行ってくれても
よくってよ」だな・・」

っていうことを
ちょうど6月末に感じていた。



だから、限界がきたタイミングで
夫の出勤も始まって

あぁちょうどよかったな、
なんて思ったんだけど



私が自分で
うっかり気付いてなかっただけで

それって
「ちょうどよかった」というより

実際は、「限界の限界」
ぐらいだったんじゃないかと

今振り返ったら
分析できる。。



その「限界の限界」っては、
夫が家にいる話だけじゃなくて

うん、夫の在宅勤務についてのストレスは、
たしかに「あった」けど
1番の原因じゃあなかった。
助かる面もあるし。


そう、1番は

休園の娘とイヤイヤ期の息子に
呼ばれまくり関わりまくり
中断されまくりの、日中ワンオペ育児
が、遠出やイベントや友達抜きで
毎日続くこと(※休日に私が
リフレッシュすることほとんどなしで)

だった。



なのに、そうやって限界だったはずなのに
6月も結局、娘の登園再開は
【週2、しかも午前保育】で

週3は結局それまでと変わらなかったわけで。



疲れてるなー、と思っても

いや、また緊急宣言解除されたから
一気に感染者増えるかもだから

遊びに行ったりするのは
慎重になろうなんて思って
結局、閉じこもったままで。



油断したな。



ということで、

まぁざっくりいうと
ここにきてのコロナ疲れですよね。

コロナ要因の、育児疲れ。



子どもの当たり前なこと
=別に子どもは悪くないこと なのに

それらがちょっと重なると、

耐えられなくなってきてしまった
自分がいました。



たとえば、息子がバシャンと
コップの水をソファと床一帯に
ぶちまけて(昨日も一昨日もやった)

あーもう

ってそれだけでもうウンザリしすぎた
顔で片付けてる時に

娘が『お母さん!ねぇお母さん!!』
って話しかけて

即反応してあげるのを求めてきた時とかに

限界突破して

「ちょっと!今これ拭いてるんだから
あとにしてよ!」

って叫んでしまうような。



コップの水こぼすのも

お母さん!って気を引こうとするのも
2歳と5歳と思うと
全然悪くないじゃんね。



でもそれを許容出来ないのが

育児づーかーれールンルン
(重いのでせめて歌ってみました)



子どもへの言い方とか
愛の伝え方とか
伸ばせる言い回しとか・・

これまで日常的に意識してきた
そういうものたちが、

もはや、高尚すぎる、
不可能な次元の話になり


そんなの考えてらんない、

そんなの考えてるレベルに私はいない、


子どもが傷つくかもしれなくても

自分を抑えきれずに、怒鳴っちゃう。



これが、「一段下りちゃってる」やつ。



本当はその上のレベルでいたいのに。

(↑完璧主義だからそう思っちゃうんじゃない?とかの話じゃなくて。
自分を抑えられないなんて、普通に嫌でしょ。
普通に、自分の心を把握して
子どもたちの成長を喜び
子どもたちを見てかわいい幸せと思える、
そのレベルにいたいでしょ当然。
そういう、日常の幸せの話。)



そんな感じで

慢性的、心身疲れ幸子が
完成しちゃってましたタラー



これまでももちろん、育児疲れすることは
あったのよ?



娘が4歳のときの疲れつぶやきがコレ↓で
心が疲れたときの4箇条を書いてみたりして。

はじめに書いたのはこれ↓か。懐かしい。


他にも、忘れてるけど
書いてないけどちょっと落ちてるわって
ときもあったんじゃないかな。
覚えてないからなかったかもしれないけど。



でも、これまでは
1日レベルだったり、続いても数日とか、
軽いレベルの落ち込みが
最長2週間ぐらいだったと思うの。

たぶん記憶では。



なのに、こんなに重度で長くて

自分でも、
あぁ慢性的になっちゃってるねこれもやもやガーン

って思うのは今回が初めて。



という、今回のヤンデマスの経緯?
概略??でした。



そこのどん底から、

今のコロナ禍では言いづらいような
強めのリフレッシュを
色んな深い経緯(自分で深い言うな)で
強行しまして。いつか書きたいけど。



底の底からはなんとか這い上がって

慢性のヨロシクナイではあるけど
ひどいときよりわりと安全度がある、
上の方の位置で、慢性やってます。



で、
自分のコントロールがきかなくてヤバイ
とか
子どもを傷つける恐れがあってヤバイ
が、とりあえずなくなったのは
本当よかったけど

今、夫との関係悪のところに来てる。

夫はいつでも誠実で優しく

今私が毎日のように責めたりひどい態度
取っていても、むこうが激昂するとか
離婚だ、とかではないんだけどね。



こちらにもたまったものは
多いにあるというかなんというか・・



モヤモヤとイライラを
キリキリとビリビリとバチバチと
ぶつけています。

こういうの、良くない言い方だなって
言い方で。

褒めてアゲるとか
甘えて頼って成長させるとか
モテるのと逆なやつ。
(上辺でそういうのやるのは
得意なんだけどね←)



と、全然オチもないどころか
解決するわけでもないブログで
失礼しました。



そんな感じですパー



子どもをかわいいと思い、

今の子どもたちを抱きしめられる幸せを
感じて、

「将来『あのときもっと
子どもを愛でておけばよかった』なんて
言うのを見越して・言いたくないから
今、かわいい頃の子どもを愛でまくる」

をモットー?みたいにして
過ごしてきたのにね。

このブログにもたくさん綴ってきたし。



なのに



やっぱり心身の限界を越えると

平気で、簡単に

「あーいつまで続くのかな」

「早く大きくならないかな
(そして解放されないかな)」

ってなりますね。平気で。



そうならないようにと思ってきたからこそ
余計に、自然にそう思ったときに
そう思ってること自体にも落ち込んだりするわ。



やっぱり私、子どもたちをかわいいって
思いたい。


今しかない、かわいい盛りのはずの
(落ちててもときどきかわいすぎて
かわいさを思い出すんだけどね)
娘5歳と息子2歳のこの生活を味わいたい。



このブログにだって
大好きな子どもたちの成長で
書きたいこと、まだ書けてないこと
山ほどたまってるんだぁ。


書こう書きたいと思いつつ、
最近ぜんぜん進まない。



別にこのブログは
そういうキラキラした文ばかり
書かなければ、なんて微塵も思ってなくて

むしろこうしてドロドロした気持ちも
ネガティヴな内容も
自分の思いのままに
書こうと思ってるんだけど
(これまでも夫婦喧嘩の内容を書いてみたり、そうしてきた)

今回はなんか、それも
書き出すのが難しくて放置しちゃうほど

疲れてたなぁ。



早く、子どもたちのかわいさを
毎日味わって、幸せを感じて、
成長を長文で書き留めては自己満する
自分に回復したい。


子どもをかわいいと思いたいって言うと、
きれいごとに聞こえる?


でも見栄とかじゃないよ。


エゴのため、でもなくて

子どもたちのための自分の笑顔&余裕と、
単に自分の毎日の幸福感のため
(それをエゴというならまぁそれでいい)

余裕持って、かわいさや成長を
味わいたい。



それが、私の大切につくった
このブログの

そう、ターイートールールンルン
(中途半端に歌はさむのやめなさい)



私は、そういうタイプなの。



なので、慢性になっちゃったけど
早めに切り上げる(這い上がる)べく

模索していきたいです。

夫と。



やり方分からないけど。


絶望してるわけじゃないんだ、今は。


だから、近い未来に
楽になってる画も、もう見えてきてるよ。

たぶんだけど。





読んでくださり
ありがとうございましたヒヨコラブラブ